「――――そんな」

目の前には、冷たい光。

「――――やめて、ください」

自身の顔に光が当たらないよう手を翳すが、それをすり抜け目に当たる。

「――――やめて。なんでもしますから」

自分の放つ言葉の意味に気付かず、彼女は訴えかける。

だが、目の前の光は今だ燈ったまま。

「なんでもしますからっ!やめてくださいっ!」

次第に光は輪郭を伴い、光源は小さな二つの光に分かれた。

「そんな目で見ないでっ!」

手に感じる温もりを離すまいと力を込めるも、徐々にぬくもりは消えていく。

「―――――いや、嫌ですっ!」

どれだけ力を込めても温もりも、感触も次第に薄れ。

「ダメっ!お願いします!離さないでっ!」

やがて、それは完全に消え去った。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


そこで、美汐の夢は終わった。















「……なんか、魘されてるな」

「あぅー、美汐どうしちゃったんだろ………」

突然倒れた天野を担いでリビングに運んだまではいいが。

「……だめ、やめて…」

「………酷く淫猥な夢を見ているような気がするのは気のせいか?」

「あぅ?淫猥ってなに?」

こう、手をがっしりと掴まれてると何もできないわけで。

「ねぇー、淫猥ってなによぅ?」

「あー、まぁー…。エッチな夢って事だ」

「ふぅーん…。えっ!?美汐がエッチなのっ!?」

ぽかっ

「バカ、そういう意味じゃねぇよバカ。バカ」

「あぅ…、三回も言わないでよぅ」

少し涙目で頭を押さえる真琴を罵ってから再び天野を見る。

「…にしては、凄く魘されてるんだよなぁ」

「うーん…。さっきお熱測ったけど、なかったわよぅ」

「そうなんだよなぁ」

過去、保育園で幼児の管理をした事もある真琴に任せてはみたが。

熱無し、外傷無しじゃ何すればいいのかわからん。

こういう時こそ秋子さんの出番なんだが。

「……秋子さんも、少し気分悪いって言ってたしなぁ」


『すいません…。私も少し、休ませてもらいますね』


って言われて天野を任されちゃったんだよな。

それで秋子さんの代理案として登場したのが…。

「………………うにゅ」

「お前は何しに来たんだ」

対面のソファーに腰掛けて寝ている名雪なんだが。

誰も起こさないと本当に起きやしない。

「……昨日は少し、夜更かししちゃったんだよぉ〜」

「あぁ。香里が泊まったんだっけそう言えば」

「うにゅ。栞ちゃんと二人で朝までお話してたんだよ。だから眠いんだもん」

「でもあいつら朝帰ったんだろ?」

「うん。だから多分家で寝てるよ〜」

「お前じゃないから流石に起きてるだろ」

「うにゅぅ…」

寝惚けながら反論してくる名雪を放っておいて、今は天野の様子を確認する。

「………くぅ」

「まぁ、別に心配する事でもないか」

そう言って、とりあえず痛いくらい握られている手を解きにかかる。

こう、ガッチリ掴まれてると腕が疲れてしまう。

一本一本解くんだが、細くて小さい天野の指にちょっとドキドキ。

「って、んな事やってんなって」

「あぅ?何がー?」

「いや、自分にツッコミをだな」

真琴に簡潔な説明をしながら指を一本一本外していく。

だが人差し指、中指、薬指と外してはまた握られていく。

「…いや、三本一片に外せばいいんだよな」

なんか自分が凄く阿呆な事をしていたみたいだ。

なわけで、三本の指をグイッと外して空いてる指で押さえる。

残り二本となった指は力も入っていないのでスルスルと抜こうとした時。


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


ガバッと天野が突然起き上がった。

「ぬあっ!」

「あうぅっ!!」

「うにゅ!?」

突然の声に驚き、思わず手を引っ込めようとするが…

グイッ

と思いっきり引っ張られた。

「ぬおっ!」

いきなり引っ張られたもんだから当然バランスを崩してしまう。

結果、ボスッと天野に覆い被さるような体勢になってしまった。

「おっ、わ、わるい!!」

慌てて身を起こそうとするが、天野の手が背中に回された。

そしてそのまま抱き締められる。

ぎゅぅ〜〜〜〜っと。

「ぐぁっ!ギ、ギブッ!ギブッ!」

ソファーでタップをするが、更に締め付けが増してしまった。

「いやですっ!離しませんっ!」

「ぐあぁっ!お、落ち着け天野ぉっ!」

「嫌っ!嫌ですっ!」

天野はそう叫びながら俺の胸にグリグリと額をつけて抱き締める。

なんていうか、幸せだけど地獄だった。

天野を潰さないように両手で自分の身体を支え、天野に思いっきり抱き締められる。

てこの原理で腰が崩壊寸前だ。

ギリギリと痛む腰に音を上げ、横でボーっとこの光景を見ていた二人に声をかける。

「ぐあぁぁっ!!た、助けろそこの二人!」

「あ!あうぅっ!美汐落ち着きなさいよぅっ!!」

「美汐ちゃんっ!!これ以上絞めると祐一の腰が動かなくなっちゃうよっ!」

俺の声にようやく動き出した二人が天野を引き剥がそうとするが、天野は額を俺の胸に押し付ける。

「ぐあっ!も、もうヤヴァイ…」

「あうぅっ!祐一の腰が折れるぅ〜っ!」

「違うよ真琴。折れるのは背骨だよっ」

「いいから助けろこの寝ボスケおんなぁー!!」

「うにゅっ!!ご、ごめん!」

ふつーに真琴の間違いを訂正しだした名雪に向かって吼える。

慌てた名雪は真琴と二人で俺に再び掴みかかった。

「行くよ、真琴」

「せぇ〜のっ!!」

真琴の掛け声と共に引かれる感覚。

俺も思い切り足を腕を踏ん張り体を持ち上げる。

グイッと身体をそのまま立ち上がった。







―――くっついている天野と一緒に。








「意味ねぇじゃん!!」

くわっ!と二人に向かって吼える。

二人は予想外だったのだろう。

思いっきりオロオロしていた。

「あ、あうぅ。こんな結果予想外よぅ」

「美汐ちゃん、結構力あるんだねぇ〜」

「まだ寝惚けてんのかお前は」

天野をしがみつかせたまま名雪の頭を小突く。

ぽかっ

「うっ!う〜、痛いよ〜」

「お前が寝惚けてるのが悪い。つーか重い天野。降りろ」

「女性に向かってそのような物言いは、人として不出来ですよ」

「所かまわずひっついているお前のほうが不出来だと思うぞ」

「うっ…。わかりました」

天野はなんとなく納得するとストンと床に着地する。

つーか意識はちゃんとあったんだな、こいつ。

「……性格変わった?」

「少なくとも、相沢さんの影響が強いのは明白ですね」

しれっと答える天野にぐぅの音も出ない。

まぁ、それはそれでしょうがないのかもしれんが、納得いかない部分もあるわけで。

「だが、俺はさっきのお前のように所かまわずくっついたりしていないぞ」

「所かまわず抱きついてくるのを容認しているじゃないですか」

俺の言葉に天野は反論し、真琴を見る。

まぁ今のは、真琴やあゆの事だな。

「……性格悪い?」

「それこそ失礼ですよ?相沢さん」

「性格悪いわよぅ!美汐」

「まっ、真琴っ!?」

思わぬ援護射撃に、天野と一緒に俺まで驚いた。

あの真琴が、天野を批判するとは…。

「……熱でもあるのか?」

「ちっ、違うわよっ!」

俺の言葉に肩を怒らせ反論する。

まぁ、そういう訳でもないらしい。

「何か…、病気? ま、まさかエキノコックス!」

「――――美汐、ちょっと一緒に遊ぼう〜☆」

天野がシャレになるんだかならないんだかいや絶対シャレにならんだろみたいな事を言って、真琴に捕まった。

「じょ、冗談ですよ? 真琴。だから、そんなに力を入れ――」

「ゆ〜いち、私達部屋で遊んでくるねっ☆またあとでね〜♪」

「ま、真琴? ちょ、ちょっと痛っ!い、痛いですってまこ、真琴っ!」

「さ、美汐。今日は何して遊ぼうか〜☆」

「いっ、痛いっ!つ、爪が喰いこ、くいこんでっ!ち、血が出ちゃ、い痛っ!は、離し――」

真琴は痛がる天野の肩を鷲掴みにしながらリビングから消えていった。

とりあえず、取り残された俺は何か気の利いた台詞を考える。

「―――あの天野は、ニセモノだな」

「うん。きっと、多分そうだよ。わからないけど」

失敗だった。

なんとなく漂う気まずさは消えない。

「……気分転換に、コーヒーでも飲みにいくか?」

「えっ? あ、うんっ!じゃぁ私着替えてくるねっ!」

「その格好でいいじゃないか」

「まだ寒いからダメだよ。祐一も少し厚着してきなよ」

「そうか。んじゃ玄関な」

「うんっ」

この変な空気から脱出する為、俺達はコーヒーを飲みに商店街へ行く事にした。

「…結局、どんな夢見てたんだろうな」

暴走した天野を思い出しながら、俺は自分の部屋へ向かう。

途中、ドタンバタンとどこかの部屋で聴こえるのを無視しながら。













「えーっと、一応コレも持っていっとくか」

マガジンクリップで止めてあるベレッタとグロックの弾倉を持って、ジャケットの内ポケに入れる。

ベレッタはパンツインのホルスターに入れて後ろから見えないようにジャケットで隠す。

グロックはやはりレッグホルスターに。

「ナイフは流石にいらんよな」

一番大きなファイティングナイフを隠すには普通のジャケットでは厳しいので持っていかない。

パンツも普通の黒いやつだし、そんなポケットに突っ込んだら柄のほうが飛び出てしまう。

「うしっ。んじゃ行くか」

サイフと携帯の所在を確認して、俺は名雪が居るであろう玄関へと向かった。

―――未だにどこかからドッタンパッタン聴こえるのは気のせいだろう。








扉を開けるとカランカラ〜ンという音と共に店員から声がかかる。

「いらっしゃい、水瀬。ついでに相沢」

「こんにちわ、北川君」

「客に向かってその態度はなんだね、チミ」

「サイフでペチペチ頭を叩くなド畜生っ!!」

「ついで扱いするお前が悪い」

「いつもコーヒー一杯しか飲まない人間はついでで十分だ」

「ぐっ…、痛い所を」

痛烈な北川の言葉に大袈裟な態度で胸の痛みを訴える。

そのリアクションに、北川がノッてきた。

「なんだぁ、あん?自分の胸に手を当てて今更後悔しても遅いんだよっ!」

「何をっ!?貴様この俺を愚弄するか!」

「お前は何様のつもりだゴルァ!!」

「てめぇこそどこのどなた様だゴルァ!!」

「しゃらくせぇ!今日という今日は決着をつけてやる!」

「望む所だこの野郎っ!!」

「「流派!北川腐敗の名の元にぃぃぃっ!!」」

何故か二人とも同じ流派だが、場はヒートアップしていく。

場所も考えずにこんな事してると、やはりそれなりの事が待っていた。

突然、後頭部にバコン! という思わず旅立ちそうな衝撃を受けた。

「ぐはぁっ!」

「げはっ!」

俺が衝撃に思わず声を出すのと同時に、目の前の北川からも突然声があがり、二人して倒れた。

バタッ。

「ぐっ…。な、何者…」

「お、俺達に気配を覚らせないとは…。こいつら、人間じゃ――」

「いい加減にしてよね、全く」

「潤。仕事してくんない?」

倒れた俺達はかけられた声に顔をあげる。

すると、そこには二人の女の子が立っていた。

「よぅ、香里。元気そうだな」

「えぇ。少なくとも今の貴方よりは元気かもね」

「梢、お前皿洗いやってたんじゃないのか?」

「誰かがでかい声出してたから見に来たのよ、潤」

見上げた先には、美坂香里女史と小見梢(おみ こずえ)女史が仁王立ちしていた。

小見梢というのは北川の幼馴染であり、ここのオーナーの娘であり、彼女っぽい。

少し男勝りな所があるが、基本的に優しい子だ。

栗毛の髪はショートカットになっていて、いつも愛用の水色のヘアバンドで前髪を少し持ち上げている。

少し目尻が上がっているが、大きいので目つきが悪い印象は無く、良い意味で彼女の性格を表している。

ようするに、勝気そうな顔という事だ。

どちらかと言うと香里のように美人系ではなく可愛い系。

まぁ、北川には勿体無いような極上の女の子だ。

なんて考察をしていると、北川が俺にアイコンタクトを求めてくる。

俺はそれに気付き、アイコンタクトの示す通りの答えを出す。

「―――白。脇に小さなフリル付き。ガーターなどは以外にも無し」

「―――水色。フリルなど無し。付属品はこちらも無し」

お互い報告を終え、キラリと歯を輝かせ笑う。

後に起こる、別れを爽やかにする為に。

その数秒後、再び脳味噌が頭蓋骨内で砕け散りそうな衝撃が俺達を襲う。


「「―――そのまま、寝てなさい」」


二人の修羅の、殺気を纏った一撃が俺達に当たった瞬間だった。











「ていうか。仁王立ちしてるのが悪い」

「覗くのが悪いのよ」

目の前でコーヒーを涼しげに飲みながら香里が答える。

俺の目の前にも同じようにコーヒー。

そして俺の隣では名雪がいちごサンデー(こいつはストロベリーサンデーやパフェも全ていちごサンデーと呼んでいる)を喰い散らかしている。

そして正面の香里の隣には、やはり彼女。

「名雪さん、そちらの生クリームを少し分けて頂けませんか?」

「うん、別にいいよ〜」

某あいすジャンキーだ。

どうやら名雪との交渉によりバニラアイスに生クリームを乗せる事に成功したらしい。

いや、ていうかこういう店では普通生クリームが添えてあるもんだが。

「なぁ、栞」

「はい? あっ、アイス食べます?」

俺の声に反応して、栞が速攻でバニラアイスを乗せたスプーンを差し出してくる。

とりあえず、貰えるもんは頂いておく事にしよう。

パクッ

「ふむ…、生クリームがついてるとやっぱ甘いな」

「あっ、そういえば祐一さんは洋菓子系は苦手なんでしたね」

「ん〜、まぁ砂糖みたいな甘さが苦手という事だ。別に洋菓子が嫌いな訳じゃない」

甘いのが苦手なのには変わり無いわけなんだがな。

栞はそれが判ったのか判ってないのか「そうなんですか〜」なんて答えながらスプーンにアイスを乗せて口に含む。

「あっ…」

栞がアイスを食べると、名雪が声をあげた。

「どうかしたか? 名雪」

「あっ、ううん。な、なんでもないよっ」

そう言って両手を顔の前で振ってから、名雪はいちごサンデーを再び食べ始めた。

何か言いたそうな名雪が気になり見てたら、今度が栞が「あっ」なんて声を挙げる。

「……栞はなんだ?」

「あっ、いえ別に。たださっき祐一さんが口つけたスプーンですから、間接キスだなぁなんて、きゃっ」

両手で顔を隠して、栞は身悶えるマネをする。

俺はとりあえずコーヒーを一口飲んでから、言った。

「ガキかお前は」

「そんな事言う人、嫌いです」

「デリカシーってものがないわね」

「祐一、極悪だよ」

「……うらやましい」

「はぇ、間接キスなら佐祐理もこの間しましたねぇ〜」

なんだか知らないが中途半端に責められた。

というか。

「いきなりの登場ですね、佐祐理さん。ついでに舞も」

「……おっす」

「こんにちわ〜、みなさん」

舞はシュタっと手を挙げ、佐祐理さんはのほほんと挨拶しながら隣の席につく。

「牛丼屋の帰りか? 二人とも」

「………超能力?」

「なんとなくだ」

カップに口をつけながら答える。

ぶっちゃけ、二人で商店街に居る時っていうのはほとんど牛丼屋だ。

「でもお買い物もしてきたんですよ〜。ね〜、舞」

「……いぬさん買った」

「ぬいぐるみですか?」

「はい。舞がこの間見つけたんです。それを買いに行ったんですよ〜」

「お姉ちゃん、私もぬいぐるみ欲しいです」

「自分で買いなさい」

「祐一、私もけろぴー」

「あんだけあんのに足らんのかっ!!」

「量の問題じゃないんだよ〜。ですよねー、舞先輩」

「はちみつくまさん」

舞が名雪の言葉にコクコク頷く。

俺には、というか男にはよくわからんものだ。

「私には、判らないわね…」

ぬいぐるみ談義に花を咲かせ始めたメンバーを眺めて、香里がポツリとボヤく。

「香里はぬいぐるみとか集めないのか」

「えぇ。そりゃ可愛いとは思うけど、欲しいとは思わないわね」

「ふ〜む、お金を出して買うほどのものでもない、と?」

「まぁ端的に言えばそうなるわね。私ならそのお金で服を買うわ」

「なんとも香里らしい回答というか、なんていうか…」

香里にお茶を濁しながら答える。

するとどこか癪に障ったのか、香里が聞いてきた。

「なんていうか…、なによ?」

片眉を少し吊り上げて聞いてくる香里は少し怖い。

だがあえて、俺ははっきりと答える事にした。


「――――枯れていぶっ」

「鞄投げるわよ」




――――――いや、鞄投げてから言うなよ。






ねくすと。