「あらあら、随分と長い用足しでしたね」

「全く、弁解の余地もありません」

「ふふっ、冗談ですよ」

「山より深く反省っ!!」

「相沢さん、動揺しすぎですよ…」

どうやら俺は、秋子さんのお叱りを受けなくて済んだようだ。






「うにゃ〜」

「うるさいぞ、こけし」

地下室へ向かう途中、足元に纏わりついて来たこけしを拾って地下へと降りてきた。

ちなみにこけしは俺の頭の上でくつろいでいる。

時折ぺたしぺたしと後頭部を尻尾で叩かれてるような気がするが、気にしない。

「―――っとまぁ、一応こんな所だが、何か問題はありますかな?」

「いえ、特に問題はありません」

工事が終わり、秋子さんへの説明を終えた山本さんは次に俺へと向かってくる。

ちなみに俺の横には着いて来た天野が。

真琴がお昼寝してしまい暇なんだそうだ。

「さて、祐一君。水瀬さんには一応全体的な説明をしたんだが、君には必要な事だけでいいだろう?」

「えぇ。むしろそうしてくれないと困ります」

俺の言葉に苦笑いを浮べながら、山本さんは手にしたファイルを開く。

「では、説明しようか。

 まず壁には防音と跳弾しないように施してある。

 次に標的だが、これは普通に紙のやつで、まぁ実際見てみればいいか」

山本さんはそう言って、俺を奥へ来るよう先導する。

ぺたしっ

「うにゃ〜」

「うっさいこけし。黙っていくぞ」

「うにゃ!」

頭の上のこけしを一喝してから、山本さんの後をついていった。






「へぇ…。本当に射撃場だ」

「ははっ、それはそうだろう。今日は射撃場にしに来たんだから」

俺の間抜けな発言に笑顔で答えて、山本さんは中へ先導する。

中はかなり広く、奥行きがある。

仕切りを挟んだ奥には的紙があり、仕切りには大きめのスイッチが何個かついている。

山本さんは横の細々としたものが置かれている棚に歩いていって、的紙とイヤープロテクターをこちらに持ってくる。

「じゃあ、これをつけてくれ」

「はい」

俺は山本さんから差し出されたイヤープロテクターを素直に受け取る。

頭からうたまるが降りた気配がして後ろを見ると、半開きになっていた扉からうたまるの出て行く姿が見えた。

「まぁ、プロテクターをつけられないから居ないほうがいいな」

「ですね」

賢いこけしだと一人思い、半開きの扉を閉める。

山本さんは他についてきた秋子さんと天野にもイヤープロテクターを渡すとつけるように指示していた。

「これは、必要なんですか?」

プロテクターを持って俺に訊いてきた天野にニヤリと笑って答える。

「今日一日、耳鳴りと過ごしたければ必要ないぞ」

天野は黙って、プロテクターを装着した。





パァーンッ、パァーンッ、パァーンッ

山本さんの構えた銃が火を吹く。

俺はその光景と、山本さんを見て驚く。

さっきまでの人懐っこそうな中年オヤジが、今は冷徹な狙撃者に変貌していた。

一癖も二癖もある目の前の人間に、知り合いになって本当に良かったのかと唸る。

パァーンッ

弾を撃ち尽くした山本さんが、弾倉に弾を込めながらジェスチャーでプロテクターを外すように指示する。

「………いや、正直驚きました」

「ははっ、良く言われるよ」

俺の言葉に笑いながら、山本さんは込めた弾倉を銃へと装填する。

山本さんの使用していた銃は、恐らく自分のであろうベレッタの”クーガー”だった。

「昔はね、これでもス○リ○ンとして現場に居たんだ」

「……○プ○ガ○って言うのは、みんな山本さんみたいなんですか?」

俺の質問に、山本さんはニヤリと笑って答える。

「いや…、私以上だよ」

それだけで、背筋に薄ら寒いものが走った。

「こんなものを着けているのに、あんなに音が聴こえるものなんですか…」

「そうですね…。かなり、大きな音でした」

初めての実弾体験に、天野と秋子さんが気圧されたように話す。

「まぁ、室内ですから。屋外でやるよりはある程度音は響いてしまうもんなんですよ」

「そういうものですか…」

山本さんの爽やかな返事に、秋子さんが少し疲れたように答える。

「では、祐一君。こっちへ」

俺は山本さんに促され、山本さんの隣に立つ。

「それじゃ、操作説明だ。といっても簡単。こっちの赤いボタンで的紙が戻ってくる。

 こっちの青いボタン一回で15M離れ、二回で20、三回で25、四回で30だ。シンプルだろ?」

「えぇ、とても」

俺の返事に頷きながら、山本さんは赤いボタンを押して的紙を戻す。

戻ってきた的紙には、弾痕が残っていた。

人型の上半身が書かれた的紙の、頭の部分と、胸の中心部にそれぞれ痕が複数。

「……まぁ、こんなものだな」

「プロ、ですか」

「これで、今まで飯を喰っていたからね」

これが人だったら確実に致命傷となっている的紙を見ながら言葉を交わす。

「では早速、試してみてくれ」

何か怪しい視線を感じながら、俺は山本さんの言葉に頷いた。

















ドンッ、ドンッ、ドンッ

15M先の的に向かって、祐一はワンハンドでベレッタを撃つ。

その横顔を、山本は真剣な表情で見つめる。

祐一に訓練をつけた人間は、間違いなくプロである。

小銃を構え、敵を射竦めるような視線を的にぶつけた祐一を見て、山本は感心した。

先ほどまでの、自分と不安気に、だが楽しげに会話をしていた少年と同一とは思えない。

それほどに、祐一の雰囲気は変貌していた。

落ち着き、冷静に銃を構え、撃つ。

祐一と同世代でそれが出来る人間を、山本は数えるほどしか知らない。

だが、山本の知っている人間はいずれもどこかの組織、機関に属している。

その少年達とほぼ同じ行動を出来る少年、相沢祐一。

心の中で、逸材だと思うのも無理は無いのかもしれない。

その逸材の強さと脆さ。

それは、どこか自身の知る者と共通している事を、山本は後で知る事になる。















また、祐一の変貌に山本とは違う驚きを示す者も居る。

水瀬秋子、天野美汐の両名だ。

二人の心の中には同じ言葉が渦巻く。

曰く、『目の前の少年は、誰だ?』である。

幼い頃からの祐一を知る秋子の衝撃は、身を震わせるものだった。

姉夫婦からこういった訓練をさせていたという事は聞いていた。

実際、家庭環境などを考えると仕方のない事かもしれない。

だが、目の前の少年を見ていると、それでは済ます事が出来なくなる。

確かに祐一は同世代の少年達の中では異質の存在かもしれない。

今時の少年では余りお目にかかれないような行動理念を持ち、実行力もある。

だが、それはあくまでも『少年』としての基準。

人間としての基準を逸脱していた訳ではない。

だが、目の前の少年は違った。

自分の知っていた少年とは、似ても似つかない雰囲気を纏わせている。

銃を構え、標的を見つめる瞳。

その姿がとても凛々しく、とても異質だった。

少年よりも年上の、自身よりも年上の男性でも、同じような雰囲気を纏った人間を秋子は知らない。

氷のような冷たさと、頼りたくなってしまう雰囲気。

相反する二つの雰囲気を醸し出す少年を見て、秋子は畏怖と憧憬、信倚の情を湧き上がらせる。

今初めて、水瀬秋子は息子同然の少年を男として意識してしまった。

それが、禁忌だと知っていながら。














天野美汐は今朝の事を思い出していた。

自分の背後に立ち、氷のような冷たさを感じさせた声。

その空気を纏った少年が、目の前に居る。

普段の優しさを感じさせる暖かさは、微塵も無い。

あるのは、冷徹さを感じさせる横顔。

あの目をもし、自分に向けられたら。

想像して、身体を震えさせる。

自分はどうするのだろうか。

泣き叫んで彼に縋りつくのか。

もう二度と彼と関わらないよう目の前から姿を消すのか。

どちらにしても、心が壊れそうなほど辛いのは確かだ。

最悪、生きてはいけないかもしれない。

現在の自分ならば、それも有り得ると感じた。

では、自身の親友、真琴ならどうするだろうか。

恐らく彼女ならば、泣き叫び、哀願して許しを請うだろう。

だがそれに対して彼が拒絶を示したら。

彼女は心を自身の奥底に閉じ込め、自らの命を絶つ。

そこまで想像して、大きく頭を振り思考をやめる。

このまま考えていても、自分では最悪の状況しか思い浮かばない。

ポジティブ、前向きとは無縁の人間だと自分で思っているから。

それでも傍目から見て自分が明るく、前向きに見えるのだとしたら、やはりそれは彼のお陰。

だが、その彼は今は違った。

もし、彼の纏う雰囲気が今後も現在のような、冷たさを感じさせるものだったら。

再び、彼女は思考を停止した。

現在の状況では、どうしてもそんな事ばかり考えてしまう。

彼女を今支配しているのは、普段とはかけ離れた空気を出す少年に対する脅え、Ifの想像が掻き立てる恐怖だけだった。

身体が震える。

足元がぐらぐらする。

視界は霞み、視野が狭まる。

床に座り込み、だが目では少年の横顔だけを見つめる。



ふと、少年の意識がこちらに向いた。



銃を構えたままこちらを覗おうとする瞳が、スローモーションのように見える。

それは彼女の恐れた現実。

目が合った途端、首筋に氷柱を差し込まれたような悪寒。

心臓が一度大きく鼓動する。

後に訪れたのは、心を掻き立てる恐怖感と、深く暗く澱んだ喪失感。

ドロドロの感情が身体を支配する。






そして、彼女の心は目に映る光景を認めず、意識を断つという選択をした。






ねくすと。