「――――はい、ではよろしくお願いします」

ピッ、という音と共にパタンと携帯を仕舞う。

「どうでした?」



「いやぁ〜、気さくないいオッサンでしたよ」



なんとなく術中にハマっているような気もするが、今は気にしないでおく。








「おはようございます、祐兄さん」

朝食の為、食堂へ赴くと音夢が話し掛けてきた。

「あぁ。おはよう音夢」

軽く返事をして、椅子に座る。

「では、朝食をお持ちしましょうね」

一緒に食堂へ来た秋子さんは、そう言って台所へと歩いていった。

「今朝はどちらにいかれていたんですか?」

「っ!」

音夢の何気ない質問に、パンを咥えていた天野がピクリと反応する。


―――ていうか、何故ここでパンを咥えている、天野。


「秋子さんから聞かなかったか?散歩だよ散歩」

視界に収まっている天野を軽く意識しながら音夢に答える。

それを確認したからか、天野は再びパンを咀嚼しだした。

天野の服装は、今朝ここへ来た時と変わらないものだった。

まぁ着替えもない事だし、そりゃそうだろう。

「というか、何故お前がここに居る、天野」

「……そんな酷な言い方はないでしょう」

俺の言葉に、天野は不機嫌さを出しながらこちらを睨む。

「兄さん、もう少し優しく言えないんですか?」

「いや、俺としては精一杯の愛情を込めて優しく言ったつもりなんだが」

「相沢さんの愛情は刺々しいんですね」

「おう。なんてったって狼少年だからな」

ニヤリと笑って言った俺の言葉に、天野がピクッと反応する。

「俺は狼少年で、年がら年中真琴を騙してる悪い男だからな。だろ?天野」

「……そ、それは。余りにも真琴が騙されているのが不憫で」

なんとなく昨日真琴に言われた事の仕返しに、天野をからかう。

「狼少年は本当の事を言っても信じて貰えず、死にそうな目に合ってしまうわけだ。というか既に合った」

「そ、そんな大袈裟な……」

「いや、大袈裟でも何でもないんだよなぁ、これが。それもこれも天野が俺は狼少年なんて真琴に言うから」

「それは、相沢さんの日頃の所為です!私の所為にしないでください!」

「だが、天野が真琴に俺は狼少年なんて言わなければ俺はそんな目に合わなかったわけだが?」

「で、ですがそれも相沢さんが日頃…」

「真琴は言わなければ気付かなかった。という事は気付かせてしまった天野にも責任はあるわけだ」

「どういう理屈ですかそれは…」

「という事で、天野が悪い。ほれ、俺に謝れ天野」

「も、申し訳ありま…、ってなんで私が謝らなければいけないんですかっ!」

「はっはっはっ、そんな遠慮する事はないだろ。普段通り『申し訳ありませんでした、ご主人様』って跪いて謝ればいいんだよ」

「誰が、いつそんな事しましたかっ!」

「なんだ、音夢がいるから恥かしがっているのか?愛い奴め」

「本当に普段からやっているように言わないでくださいっ!」

「申し訳ありませんでした、ご主人さま」

「なんで私がご主人様と呼ばれなければいけないんですかっ!というかやめてくださいっ!!」

「なんだ、わがままだなぁみっしー。お代官様のほうがいいか?」

「そんな訳ありませんっ!というかそこから離れてください!」

顔を真っ赤にさせながらはぁはぁと肩で息をする天野。

俺はそれを見てニヤニヤしていた。

「……何をやっているんですか、兄さん」

「いや、これも一種のプレイという奴だ、音夢」

「プ、プレイってなんですかプレイってっ!?」

「ほえ?プレイですか?」

俺の言葉に再び怒鳴る天野とは対照的にほえ?とハテナ顔で聞いてくる音夢。

何も知らないにもほどがあるだろ。

「…いや、忘れてくれ音夢」

「はぁ。良く分かりませんが、わかりました」

それは多分、妹系アイスジャンキーの台詞だと思ったぞ、音夢。

「あらあら、随分と賑やかですね」

「いえいえ、それほどでもありませんよ秋子さん。賑やかなのは天野だけで」

「私だけの所為にするつもりですか…」

トレーにパンを乗せて持ってきた秋子さんに返事を返すと、天野がそんな不満げな声を出した。

「なんだ、実際その通りじゃないか」

「兄さんの所為だと私は思いましたけど」

「何、これも愛情表現の一種…」

「あ、愛情表現って……」

俺がそう言うと、天野が顔をポンッと真っ赤にしてしまった。

そんな可愛い顔されてしまうと妙に意識してしまうわけだが。

と、そこで思い出してしまったのが今朝の天野。

あれは近年稀に見る可愛さだった。

何気なく、そっと自分の首筋に触れてしまった。

「あっ……」

「あら?兄さん」

と、そこで二人から声が上がり、思わず触れていた手を引っ込める。

「な、なんだ音夢」

「いえ。ただ、首筋に何か痣のようなものが」

「っ!?」

音夢の一言で、天野は顔を真っ赤にしてガバッと俯く。

その手は首筋を押さえていた。

「あ、いや、えっと…。な、何でもない何でもない」

「そうですか?それなら別にいいのですが…」

「お、おう。そういう事にしておけ」

「む〜、何か怪しいものを感じますが…」

「く、首筋が、痛いのですか?」

天野の俯きながらの言葉にドキリとしながら、なんとか頭を回転させて返事を返す。

「い、いや。べ、別になんともないから。音夢も必要以上に心配するな」

「そうですか?でも、そんな所どうしたんですか?」

「い、いやっ!言われるまで気付かなかったんだ。俺に判るわけがない」

「あらあら、早く食べて頂かないと。パンが固くなってしまいますよ?」

しどろもどりになりながら音夢の追求を避けている所へ、秋子さんがそう言って割り込んでくれた。

「あっ、そ、そうですね」

「はい。ですから、祐一さんと美汐ちゃんは、早くパンを食べて下さい。あっ、音夢さん。少し洗い物を手伝って頂けませんか?」

「あっ、はい。わかりました。では兄さん、また後ほど」

「あ、あぁ。しっかり手伝ってこいよ」

「もぅ、判ってますよ〜っ」

音夢はそう言って苦笑いをしながら秋子さんの横を台所へ向けて歩いていく。

途中、秋子さんはチラッとこちらを見てからウィンクを一つして台所へと入っていった。





「……はぁ〜。生きた心地がしないってのはこの事だな」

持っていたパンを皿に戻して、はぁ〜と溜息をつく。

「ったく。あからさまに反応するんじゃないって。俺まで意識しちゃうじゃないか」

「す、すいません…」

天野は相変わらず真っ赤な顔をして俯く。

首筋に、掌を当てて俯く横顔は、やはり可愛かった。

って、またそんな意識してどうするんだ俺。

「……や、やっぱりついてたのか」

「えっ?…あっ!は、はいぃ」

俺がそっぽを向きながら聞いた問いに、一瞬の間はあったものの天野は意味を正確に理解して、更に顔を赤くして返事をした。

「そ、それ…。ど、どうするんだ」

「は、え、えっと…。ど、どうしましょう…」

「真琴には…、会ったのか?」

「い、いえ…。まだ、寝ている所に秋子さんとお邪魔して、下着だけをその…」

天野はか細い声で、相変わらず俯きながら答える。

「そ、そうか。下着だけ拝借してきたのか…」

「は、はい。まだ、寝ていたので起こすのも可哀相でしたから…」

「そうだなぁ。でも何で下着なんて…」

「そ、それは、その…」

俺の問いに答えず、天野はそう言ってもじもじと俯いているだけだった。

と、その様を見ていたら下着を変える理由をつい妄想してしまった。

つまり、その。

女の子は興奮というか、悦ぶと言うか、感じると下着が汚れる事態になるわけで…。





「あ、相沢さんっ!な、何を想像しているんですかっ!!」

「はっ!!」

つい妄想の世界に飛び立っていた俺に向かって、真っ赤な顔をして天野が怒鳴る。

そこで、俺の意識は戻ってきた。

「いや、まぁ。その…、下着を変えるような事態を…」

「なっ!なな、何をおっしゃっているんですかっ!!」

つい正直に話してしまったら、余計天野に真っ赤になって怒鳴られてしまった。

と、思ったら天野は急に大人しくなる。

「し、仕方がないじゃないですか…。わ、私だってその、女性なんですから…」

「わ、悪い…」

半泣きな天野の声に、素直に謝る。

天野は首だけをコクンと頷いて、俯いて押し黙る。

なんだか、妙な気まずい雰囲気になってしまった。







お互い一言も発せずに俯いて、長い時間が経過したように感じる。

「と、とりあえず…。メシ喰おう」

「そ、そうですね…」

やっと発する事が出来た俺の言葉に天野は頷いて、お互い黙々とトーストを頬張る。





朝食のトーストは、なんだかやけに硬く感じた。







ねくすと。