水瀬家に近づくにつれ、横からの溜息が、どんどん濃さを増していく。
「……で、どうするんだ?」
「……どうしましょうか」
天野はそう言って、困った表情を浮べる。
「一体、どこまでを話すべきなのか…」
「だから、俺は別に話す必要は無いと思うんだがな…」
「それは出来ません。それをしてしまうと、みなさんに顔を合わせられなくなります」
恐らくそれは、抜け駆けだと思っている後ろめたさからだろう。
「だがなぁ…」
「それに、どちらにしても真琴には話さなければいけませんから」
どうやら天野の中では、真琴に話すのは当然の事らしい。
「真琴に話したら、全員に行き渡るぞ」
「それは判ってます。だから困ってるんですよ…」
結局、この事に関する結論は、全く出なかった。
「ただいま〜」
「お、お邪魔します…」
履いていたブーツの紐をほどき、ブラシで泥を落としてタオルで底を拭いてから紐同士を結んで背中に担ぐ。
「相沢さん、そういったものも持っていたんですか?」
「ん?…あぁ、まぁな」
「そう言えば、今日の服装はいつもと雰囲気が違いますよね…」
スリッパに履き替えた天野が靴を綺麗にしていた俺の背中に回りこみそう言う。
「そう言えば、アレは何だったんですか?」
「アレ?アレってなんだよ」
「……私の背中に突きつけていたものです」
天野は不機嫌そうにそう言う。
っつ〜か、すっかり忘れていた。
「あ、あぁ〜。え〜と、まぁそれはほら、イロイロと…」
「……後で、ご説明をお願いしますね?」
「はい……」
天野はにっこり微笑んで凄んできた。
パタパタパタ
「お帰りなさい、祐一さん。いらっしゃい美汐ちゃ、ん?…あらあら」
「あ、ただいまです。秋子さん」
「お邪魔します」
駆け寄ってきた秋子さんに、俺と天野が頭を下げて挨拶をする。
秋子さんは何故かあらあら、どうしましょうと頬に手を当てて微笑んでいた。
「あ、あの…、秋子さん?」
「そうですね…。とりあえず、お二人ともお風呂に入ってきてくれませんか?」
「はっ、はい?なんですか突然」
突然風呂に入れと言われて、当然俺達は驚いた。
それを気にとめず、秋子さんは言葉を続ける。
「いいですから、とりあえず二人ともお風呂に入って下さい。あっ、美汐ちゃんには真琴の下着を貸しますから。サイズはほとんど同じでしたよね?」
「えっ?は、はぁ。大体同じですが」
「そうですか。では後でバスタオルをお持ちしますから、とりあえず二人ともお風呂へ」
秋子さんに半ば強引に浴場まで連れて行かれ、仕方なく俺達は風呂に入る事になった。
「……あぁ、そういう事か」
走っていて多少服がベタついていたという事もあり、身体を洗おうとした時に気付いた。
首筋に、無数の赤い痕。
何のかは判っている。
公園で、天野と乳繰り合っていた時のものだ。
「いや、まぁ半分は判ってたんだけどな…」
赤い痕を指で触りながらその時の事を思い出す。
「…イ、イカン。思い出すもんじゃない」
自爆した事に気付いて、なんとなく慌しく身体と頭を洗う。
ザッパーンと湯船に浸かって、顎がギリギリ浸からない程度まで深く身体を沈める。
確かこういう痕は、暖めると血行のお陰で消えるというのを聞いたことがある。
なので、できるだけ首を意識しながら湯船に浸かる。
ガラララッ
その時、風呂場に誰かが入って来た。
まぁこの場合は二択なんだが。
「ふぁぁ…っ。おっ?なにしてんだ祐一」
どうやら俺は神に祝福されていたらしい。
「ほぅ…、で?どうしたんだお前は」
「……嫌いじゃないって言った」
「………バカ?お前」
今朝の天野との一件を聞いてもらったら、そう言われた。
「ったって…なぁ。しょうがないだろ」
「いや、まぁそりゃ判るんだけどな…。どうせお前の事だ、他の奴の事とかも考えたんだろ」
「まぁ、それもあるんだがな…」
「その気持ちはまぁ、判らないでもないんだが…」
純一はそう言うと、う〜むと腕を組み唸りだした。
「……やっぱりよ、誰か一人に絞るってのは到底無理だと思うんだわ」
「いきなり考えた末の結論がそれかよ…」
純一の簡単な結論に、俺は溜息混じりに答えた。
だが、純一は話を続ける。
「だってよ。もし、例えばだ。お前が音夢と付き合うとするよな?」
「ぶっ!…なんでそこで音夢が出てくる」
「まぁ、いいから聞け」
そう言って純一は俺を宥めすかす。
「それでだ。音夢と付き合っている状態でも、お前を好きな人間て言うのは居るわけだろ?お前自身も自覚しているようだし」
「まぁ、そうなんだがな…」
「で、だ。そんな音夢の彼氏なお前だが、女の子達は諦めずにアピールを繰り出す。例えば今日みたいな天野ちゃん、だっけ?その子のような」
「あぁ…。それで?」
「その時、お前は彼女達の涙ながらの懇願を拒絶する事が出来るか?俺はできんぞ」
「…お前の意見はどうか知らんが。まぁ、そうだな…。そんな事になったら関係を持ってしまうだろうな」
「だろ?幸いお前には常識外れの血筋と才能がある。女の子全員を相手する事だって出来るだろう」
「…いまいち誉められてるのか貶されてるのかわからん。というか貶しているんだろう」
「良く分かったな、正解だ」
「……一回沈めてやろうかコノヤロウ」
俺はそう言いながら、純一の肩をギリギリと掴む。
「いてっ!いてぇってのっ!やめろこのバカっ!折角アドバイスしてやってんのにこの仕打ちかっ!」
「半分以上楽しんでるだろうが!」
「当たり前だろうっ!っていでぇっていってんだろっ!」
俺の手から逃れるように、純一は俺から離れる。
「ってぇなぁ…。それでだ。結局、お前だって一人に絞るなんて事出来ないと判ってるんだろ?」
「……まぁ、それはそうなんだが」
「だろ?…そこらへんは、初音島の時から判ってたけどよ」
「………」
「だからよ、なるようにしかならないんじゃないのか?」
「そう…、だけどさ」
「つ〜かアレだぞ?一人に絞った所で、もしその彼女と他の女達でいざこざが起こったらどうすんだよ?」
「それが一番怖いんだよなぁ…」
「まぁ、そういう事だ。実際、世の中には女を大勢はべらせている人間なんていくらでもいるんだから、それでいいじゃねぇか」
「それと俺は同じなのか、やっぱ…」
「そうだな。倫理観とかそういったもんはこの際度外視しておけ。今更だろ、そんなもん」
「今更って。まぁそうかもしれんが」
「そういうこった。で、この痕どうするんだ?」
純一はそう言って、首筋の痕を指差す。
「まだ、残ってるか?」
「始めがどんぐらいだったのかがわからんが、まぁ傍目から見ても判るな」
「そ、そうか…。完全に消えるまで浸かってようかと思ってたんだが、無理そうだな」
「まぁ結構薄いから、わからない奴は判らないだろ」
「ん、そっか。じゃぁ俺はもうあがるわ」
「おうっ。また朝飯の時にな」
純一に挨拶をしてから湯船を上がり、脱衣所へ入る。
脱いだ洋服の上に置かれていたバスタオルで身体を拭いて、これからどうするか考えながら着替えた。
「あー…、えー、そのー。こ、これはですね…」
目の前に置かれた黒光りする物体―――ベレッタを見つめ、俺は額に汗をかきながら無い脳味噌をフルに回転させていた。
――――誤魔化すしかないっ!
「こ、これは、た、ただのガス銃で。じ、じいさんが送ってきたこの間の荷物の中にですね…」
「そうですか…。では、こちらもガス銃なんですね?」
秋子さんはそう言いながら、もう一つ黒光りするモノを机の上に置く。
アンクルホルダーに収まっている、グロック。
――――両方とも、既に弾倉が抜かれていた。
「えぇっと…。そ、それもガス銃で。ほ、ほら。この弾はただの模造品で…」
「模造品にしては、良く出来てますね。まるで本物のように火薬も入っているようですし」
秋子さんは冷笑を浮べながら、俺を追い詰める。
―――怒ってる、明らかに怒ってる。
こんな秋子さんを見るのは初めてかもしれない。
そんな俺を無視して、秋子さんは続ける。
「それと、申し訳ないんですが。色々と心配だったもので、ポケットの中を漁らせて頂きました」
「あっ、漁ったんですかっ!?」
「はい…。どう考えても本物にしか見えないような拳銃がありましたから」
秋子さんは平然とそう言ってのけてから、次々と机の上にものを載せていく。
サイレンサー、弾倉、9パラの入ったプラケース、そして、ファイティングナイフ。
「…こんな、見るからに危険なナイフが出てきた時は、流石に驚きました」
秋子さんはそう言って、少し悲しげな表情になる。
それを見て、俺は…。
「―――すいませんでしたぁぁっ!!」
思いっきり土下座した。
それから俺は、昨日の父さんとの電話でのやり取りやら、じいさんからの手紙の話などをして説明をした。
「了承」
「…いや、あっけないんじゃないでせうか?秋子さん」
「初めから話をしてくれればよかったんですよ」
秋子さんはそう言って、紅茶を飲む。
ちなみに今は秋子さんの自室。
俺は正座をして、机を挟んだ秋子さんと向かい合っていた。
その机の上には、先ほど挙げたモノたち。
風呂からあがってすぐ、秋子さんに声をかけられてこの部屋まで来たわけだ。
「そういった事情でしたら仕方がありません。了承です」
「そ、そうですか…」
秋子さんとそんな会話をしながら紅茶を飲む。
「一応、この家にも地下があるのは昨日説明しましたよね?」
唐突に、秋子さんがそんな事を言い出した。
「えぇ…。聞きましたが?」
「射撃場のほうはそちらを利用してください。この家一件丸々収まるくらいの空間はありますから」
「えっ、いや、それは…。いいんですか?」
「はい、これから業者さんの方に連絡をしてください。おじいさんから教えられた弾が切れた時の連絡先が恐らくやってくれるでしょうから」
「はぁ…、あっ、そうか」
「はい、そういう事です」
そう言って秋子さんは紅茶を含む。
日本の中で本物の9パラを販売する業者なんて何かヤバイ所のはず。
仕入れはもちろん人には言えないような所から仕入れている、はず。
そんな所に突然俺が連絡を入れてもくれるわけがないから、事前にじいさんから何らかの形で言われているか、直接じいさんと繋がっている、はず。
だから、そこへ連絡すれば何とかしてくれるだろう。
という事だと思う。
「えぇっと、確か携帯のメモリに…」
ポケットから携帯を取り出し、すぐに探す。
出てきたのは『弾薬補充先』という簡単な名前。
すぐにそこに電話をかける。
プルルルルッ
プルルルルッ
カチャ
「あっ、もしも――」
『はい、アー○ム財団特殊部隊・通称ス○リ』
ピッ
出てきた単語に、すぐさま携帯を切った。
ピリリリリッ
切ってすぐ、電話が鳴った。
無言で通話ボタンを押す。
「―――はい」
『相沢祐一君だね?』
―――どうやら、俺に逃げ場はなかったらしい。