「あぁ。どっかのまこぴーが人の部屋でぎゃーぎゃー騒ぎまくってたもんでな」
「あうーっ!真琴は騒いだりしてないわよぅ!」
「真琴ちゃん、それを騒いでるって言うんだよ…」
後ろでドタドタ地団駄を踏む真琴を他所に、俺はリビングのソファーへと腰掛けた。
「で、他のみんなは?」
「えぇ、あちらです」
音夢はそう言いながら、横を指差す。
そちらには、秋子さんを中心にドタドタと動くみんなが居た。
みんなと言ってもここに居る音夢やあゆ、真琴以外だが。
「で、お前達は何故手伝わな…」
俺は途中まで言いかけて、自分の迂闊さを呪った。
そうだ、こいつらには手伝えない事情があったんだ…。
俺はついそんな哀れみの目であゆを見る。
「うぐぅ?」
鳴いたあゆを無視して、今度は音夢を見る。
「…な、なんですか?兄さん」
「言うなっ!何も言うなっ!」
音夢から出た言葉に俺は涙を禁じえなかった。
「何をいきなり…」
「わかってる、お前達の気持ちは判ってる…」
俺はそう言いながら立ち上がり、音夢とあゆの肩をポンと叩いた。
「大丈夫だっ!戦力外通告されてもまだチャンスはあるっ!頑張ってキャぷろばぁっ!」
言い終わらない内に、音夢の天駆けちゃいそうな裏拳が俺の顔面にヒットした。
「それで、沢渡さんは何を持ってるんですか?」
にっこりと俺の隣に座る真琴に音夢が話し掛ける。
「うぐぅ?なんかの缶?」
「うんっ、祐一から貰ったのよぅ!」
あゆの質問に、真琴が嬉しそうに答える。
「へぇ〜。ねぇねぇ、中身はなになにっ?」
「チョコレートって祐一は言ってたわよ」
「そんな無骨な缶にチョコレートが入っているんですか?」
真琴が持つ缶を見て、音夢が不思議そうに俺に訊いてくる。
「まぁ、な。世の中にはそういうのに入っているチョコレートもあるんだ」
そう言いながら鼻をさする。
実はさっきの裏拳、かなり痛かった。
「あうー、今食べていいかなぁ?」
真琴が缶をいじくりながら俺に訊いてくる。
「う〜む、ご飯が後どれくらいで出来るかが問題だなぁ」
「うぐぅ?チョコレートだったら今食べちゃっても大丈夫だよぉ!」
「いや、まぁそりゃそうなんだがな…」
なんせ普通のチョコレートという訳じゃないしな。
「もういいやっ!食べちゃお〜っ!」
真琴はそう言ってカパッと缶を開けて四つの内一つを取り出す。
「外国製、ですか?」
「あぁ。まぁそういう訳だ」
音夢の質問に簡単に答える。
何がどういう訳かはわからないけど。
真琴は袋をピリピリと破り、チョコレートをパクッと食べた。
パキッ
モグモグ…。
「…あうー、余り甘くない…」
モグモグと食べながら素直な感想を言う。
「まぁ、基本的に大人向けと言うか、男性向けのチョコレートだからな…」
「あゆあゆ、一本あげる」
俺の発言を無視して、真琴があゆに一本手渡す。
「わっ!ありがとう、真琴ちゃん!」
あゆは嬉しそうにお礼を言って、真琴から受け取ったチョコレートの包装をピリピリと破いていく。
「じゃぁ、音夢にもやれ」
「うん。…はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
人見知りするタイプな真琴にしては珍しく、一瞬戸惑った程度で音夢にチョコを手渡せた。
音夢もまた嬉しそうに受け取ってピリピリと包装を破いていく。
「うぐぅ、結構苦いねぇ〜」
「まぁ、そうだなぁ」
あゆの感想に頷く。
レーションに入っているチョコレートバーの味ってのは基本的にビターになっているので甘いのが好きな人間には苦いかもしれん。
「こちらで売っているビター味のチョコレートより苦味があるかもしれませんね」
音夢の舌はイマイチ信用できんのだが、この感想は俺と同じなので同意しておく。
「俺は甘いのが基本的に苦手だからな。この程度のチョコレートが一番いい」
「まぁ確かにチョコレートではありますからね」
レーションの中にはもの凄いボリュームのあるチョコレートバーとかもあるからな。
余り甘ったるすぎるのもダメなわけだ。
市販のは俺の判断基準からするとかなり甘いからなぁ。
「ごちそうさま〜」
真琴は何だかんだ言いながらチョコレートバー一本食べきっていた。
「お腹一杯になったりしてないだろうな」
「これぐらいなら大丈夫よっ!」
真琴は缶の蓋を閉めながら言う。
確かにこの程度なら腹も大丈夫だろう。
「うにゃ?何食べてる?」
リビングに入って来たさくらが未だにチョコを食べてる音夢を見て聞いてきた。
「あっ、さくらちゃん。さっき真琴ちゃんからチョコ、貰ったのよ」
音夢はそう言いながら最後の一口をさくらの前に出す。
「食べかけですけど、食べます?」
「うんっ。じゃぁいただきま〜すっ」
さくらはそう言うと音夢の指ごと口に含んだ。
「きゃぁっ!ちょ、ちょっとさくらっ!」
「うにゃぁ〜、結構苦いねぇ〜」
慌てて指を引っ張って引っ込める音夢を尻目に、さくらは幾分顔を顰めて言った。
「まぁ、ビター味だからな」
「へぇ〜。なんか向こうで食べたことあるような味」
「そうかもな。これは国内のじゃないし」
「あっ、やっぱりー?」
何気なく俺とそんな会話をしながら、さくらは俺の膝の上に腰かけ…。
「おい、さく――」
「ねぇ、おにいちゃぁん…」
俺が言い終わる前に、さくらは膝の上で俺の服の胸部分をギュッと掴み、目を潤ませて見上げてくる。
「ぐっ…」
破壊力抜群だった。
「ねぇ、口の中が苦いからぁ、お口直し…」
さくらはそう言いながら、スッと目を閉じ頬を赤くして唇を閉じて顎を上に向ける。
なんつ〜か、キスしてくれという意思表示だ。
その姿が妙にいやらしく見えてこっちの顔も熱くなってくる。
「ねぇ、はやくぅ…」
なんだかじれたさくらはその格好を維持したまま顔を更に近づけてくる。
時折唇を舐めるさくらの舌が更に妖艶に見える。
ゴクッ…。
なんだかわからないが無性に喉が渇く。
よく分からない間にさくらの肩に手をかける。
一瞬さくらがピク、と反応するが更に服を掴んでいる手にギュッと力を込める事でこちらにアピール。
もう準備万端な感じだ。
「おにいちゃぁん…」
「さ…、さく…」
さくらの声に答えようとした所で、気付いた。
「うっ、うぐぅ…。ドキドキ…」
「あうぅ…。き、緊張してきた…」
うぐぅとあうぅが思いっきりこちらを凝視している。
まるでテレビドラマのキスシーンを見ている時のように固唾を飲んで見守っていた。
「おい、お前等…」
そう言った時、気付いてしまった。
音夢が居ないっ!!
その瞬間、『ゴウッ』という感じで後ろから炎が吹き上げたような気がした。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
さくらは不思議そうな声で尋ねてくる。
「……目を、開けるな」
俺はかろうじてそれだけ言って、あゆと真琴を見る。
すると、ヤツラは既にソファーを離れリビングの片隅で震えていた。
「うぐっ、うぐっ…」
「あうっ、あうぅ…」
訂正、二人で身を寄せ合い震えながら唸っていた。
恐らく、これから起こる惨劇を予想しての事だろう…。
「うみゃぁ…、えぇ〜と…。ど、どうしたのかなぁ、音夢ちゃん…」
下を見ると、目を開けたさくらが俺の後ろに居る『何か』に視線を向けていた。
いや、声にも出していた。
「いえ、随分と兄さんが嬉しそうな顔をしていましたから。じっくりと観察していたんですよ。えぇ、じっくりと」
俺の後ろでは『何が』がさくらに対してメッセージを送る。
「あ、あはは…。あっ、そうだ!ボク明日からの授業の準備をしないとっ!」
「明日は学校はお休みですから、大丈夫よさくらちゃん」
「うにゃ…。失敗…」
脱出を試みたさくらは、一瞬で撃ち落された。
「一人だけ逃げようとするな…」
「うにゃ…」
「それで、お兄様。続きをなさらないんですか?」
音夢は後ろから俺の肩にポン、と手を置いて訊いてくる。
「いえ、こういう事はあまりしてはよろしくないのではないかと思いまして…」
後ろからのプレッシャーに妙な謙譲語と尊敬語で話してしまう。
「そうですか。では兄さん。少々お話がございますので、よろしいですか?もちろん、さくらちゃんにも」
「は、はい…」
「うにゃぁ…」
それから一時間、俺とさくらは広辞苑を携えた鬼の怒りを一身にぶつけられる事になった。
「あぁ、生きているって素晴らしい」
荒ぶる破壊神から解放され、俺は天井を仰ぎ見ながら呟いた。
「なんですか?兄さん」
「いえ、なんでもございません。ハハハ…」
訂正、未だ解放には至っていなかった。
「あら、随分と楽しそうね」
「これが本当に楽しそうに見えるのか?香里」
「全然」
ティーセットの乗ったトレーを持ってやって来た香里がクスッと笑う。
今の俺達は音夢の前で正座をさせられるという恥辱を受けていた。
「ねぇ、音夢ちゃん。足、痺れそうなんだけど…」
「あら、ごめんねさくらちゃん。もういいわよ」
「うにゃぁ、助かった…」
さくらはそう言いながら足を崩してソファーに座りなおす。
ちなみに正座はカーペットの上で行われていた。
「じゃ、俺も…」
俺も同じように足をプラプラさせてからソファーに座りなおす。
「あっ、もう…。まぁいいです、反省の色は伺えましたから」
音夢は始めむくれたが、ふっと顔を崩してそんな事を言った。
「なんだか本当の兄妹みたいね」
「妹にしては世話を焼きすぎると思うんだがな、お前の妹はこんなんじゃないだろ」
「世話を焼かせているのは兄さん達の所為ですっ!」
俺が香里にそう言うと、音夢がむ〜、と膨れる。
「む〜」
実際声に出していた。
「まぁ、そうねぇ。ウチのはどちらかと言うとこちらが世話を焼くほうだし…」
「お姉ちゃんは世話を焼きすぎなんですよー」
物憂げに話した香里の後ろから、ひょっこり栞が現れた。
「おっ、いたのか。THE・妹」
「ザ・妹ってなんですか?」
「それはだな。妹の中の妹、THE・KING OF 妹 という大変名高い名誉あるロリッ娘な称号の事だ」
聞いてきた栞に親切丁寧に教えてやる。
「う〜、誉められてるのか貶されてるのかわかりません〜」
「安心しろ、誉めているんだ。そのロリチックな体つきと童顔はめったにお目にかかれないからな」
「えぅ〜、じゃぁ…」
栞はそう鳴きながら俺の横に座るさくらを見る。
「うにょ?」
「さくらちゃんはどうなるんですかぁっ!?」
何だかわかっていないさくらに、栞はズビシッと指を突きつける。
「むぅ〜っ!美坂さんっ!ダメダメだよっ!」
指を突きつけられたさくらは頬を膨らませて立ち上がる。
「えぇっ!わ、私っ!」
「うにゃ?違うよぉ。そっちの小さい子のほう」
「むーっ!私より小さい子に小さい子なんて言われたくありませんっ!」
始めは香里が反応したが、さくらに訂正されてほっと胸を撫で下ろす。
だが小さい子と呼ばれた栞がむくれてさくらに思いっきり痛恨の一撃をぶちかました。
「……あっちゃぁ」
俺は手を額に当て音夢をチラリと見る。
音夢も同じく、額に手を当ててこちらを伺っていた。
二人の目が合い、そのまま横のさくらを見る。
当のさくらは思いっきり笑顔だった。
「……ねぇ、香里ちゃん」
「はっ、はい!」
思い切り笑顔を向けられた香里は、半分声を裏返してさくらの声に反応した。
「ボクってさ、教師さんなんだよね。香里ちゃんの担任さん♪」
さくらは楽しそうにそんな事を言う。
香里はその言葉と共に、顔色が悪くなってきた。
「……今度、家庭訪問してもいいかなぁ?親御さんとじぃ〜っくりゆぅ〜っくり話をしなくちゃいけないみたい♪」
相変わらずのものっすごい笑顔でさくらは香里に言う。
だが、その身に纏うオーラは限りなく黒に近かった。
「えぅ〜っ!教師がそんな生徒を脅すような事をしていいんですかっ!」
「ボク、脅してないよ?ちょっと家庭訪問で親御さんとお話しなくちゃいけない事情ができたって言ったでしょ♪」
栞の反論に、さくらがしれっと答える。
「別に〜、ボクがその気になったらテストの成績誤魔化せるとか、内申書に成績ボロクソ書く事が出来るとか言ってる訳じゃないしね♪」
「それを脅しと言うんだ、脅しと」
本当に楽しそうに言うさくらに、思わず突っ込む。
「うにゃ?あっ、ついつい言っちゃった♪」
「明らかにわざとだろうが…」
「別にノープロブレムだけどねぇ〜♪」
楽しそうにするさくらに、突っ込むが、さすがに本気で咎めている訳ではない事が判っており、軽く返事をしてくる。
まぁこちらとしてもこいつが本気でこんな事言ってる訳じゃないのは重々承知なんだが。
いじめられている美坂姉妹の立場を考えると可哀相な気もする。
だって、香里の顔が本当に青くなってるんだもん。
「香里ちゃん。先生の事って、バカにしちゃいけないんだよ?」
「はっ、はい!ウチの妹がバカな事して本当にすいませんでしたっ!」
香里はそう言ってもの凄い勢いで頭を下げる。
「香里ちゃんが謝る事じゃないんだよぉ。ボクはね?妹さんの素行の悪さを問題視しているだけで〜」
「ほらっ!栞も謝りなさいっ!元はと言えば貴女がそんな事言うのが悪いんでしょ!」
「えぅ〜、なんで私が悪いんですかぁ〜っ!」
「まぁまぁ、香里もそんなマジになるなって。さくらもそんなにいじめるな」
本気で頭を下げさせようとする香里を宥めるように、同時にさくらに言う。
さくらは俺がそう言うと、ペロッと舌を出して俺に抱きついて来た。
「うにゃぁ〜、栞ちゃんにいじめられたよぉ〜」
「はいはい、勝手に泣いてろ」
抱きつきながら泣き真似をするさくらの頭をポンポンと叩く。
突然態度の変わったさくらを見て、香里はボーっとした。
「ほら、香里が状況について来れてないぞ」
「うにゃぁ、ちょっといじめすぎちゃったかな〜。冗談だよ、冗談。イッツ ア ジョーク♪」
「じょ、冗談…。もう、余り驚かせないでください」
「えへへ。ゴメンネ、香里ちゃん」
香里のそんな気だるげな言葉にさくらは悪びれた様子も無く謝った。
「でも、今回の事に関しては栞が悪いぞ。人の身体的特徴で貶すのはイカン」
「えう〜、じゃぁ祐一さんはどうなるんですかぁ!」
「俺はほら、特別だ」
「そ〜そ〜、お兄ちゃんは特別なんだよ〜」
栞の納得いかないと言う言葉に俺とさくらがあっさりと答える。
「まぁ、兄さんの場合は昔からですからね。慣れているという事もあるんですよ」
「まぁな。だが俺だって言う対象はキチンと弁えているんだ」
音夢の言葉に俺がそう返す。
「あら、そうだったんですか?例えばどのように?」
「そうだなぁ。例えば音夢に貧乳なんて本当の事を言ったら流石に死を覚悟するしか…」
音夢の言葉についつられて、ついつい本音をポロッと溢してしまった。
「あ……」
「お兄ちゃん、墓穴掘ってるよ…」
「ま、まてっ!後生だっ!というか嵌めただろっ!なぁっ!謀ったな、シャあぶろぱ!!」
某赤い人に対する名セリフを言い終わる前に、顔面にでっかい電話帳が飛んできた。
「思っているだけでも、犯罪です」
音夢の法律を無視した言葉を聴きながら、俺の意識は遥か彼方へ飛んでいった。