音夢が戻ってきてからほどなくして、純一達も戻ってきた。

「・・・何やってんだ?祐一」

「あ、あはははは…、はぁ」

みんなの冷たい視線から逃れるために床に正座していた俺に、純一はそんな労いの言葉をかけた。

あの時の、音夢の不思議な笑い声は忘れられそうに無い。







「でね、その時相沢君にね、あの、真琴ちゃん、でしたっけ?あの子が体一杯を使って体当たりを・・・」

「だぁぁ、もう、鷺澤さん勘弁してください」

純一の横に並んで、鷺澤さんが俺が正座するまでに至る理由を事細かに純一に説明していた。

もの凄く楽しげに話しているのがポイントだ。

「なんだ、そんな楽しい事になっていたのか祐一」

「お前、あの姿を見て楽しそうに見えたのか?」

「いや、全く」

ニヤニヤと笑いながら純一はそんな事を言ってのけた。

「しかしお前、そういう所は変わらないよなぁ・・・」

「・・・たった四ヶ月程度で、変わるわけもないだろうが」

「まぁ、そりゃそうだ」

お互い軽い苦笑を浮べながら頷く。

コツコツと廊下を歩いていると、春先の寒い風が吹き込んできた。

「あぁ、そういえばさ。学校出てからお前等どうするんだ?」

昇降口のロッカーをカパッと開けながら純一に訊いてみた。

「あぁ。ほれ、俺達風見から来た奴は自宅なんてもんないだろ?だからこれから二年間は学校が用意してくれた寮で集団生活する事になってんだ」

「へぇ〜、風見学園ていう所は気前がいいのね」

同じく自分達のロッカーを開けながら、純一の話に香里が返事を返す。

「まぁ、無駄にそういう所には力を入れる学校ではあるよな」

「みんなで一緒にお泊りかぁーっ、面白そうだねっ!」

靴を出しながらあゆが楽しそうに言う。

「ですが、二年間も続きますと、いろいろと大変かと思いますよ?」

「そうですねぇ、初めのほうは慣れない土地に慣れないといけないし、大変っすよ」

「うぐぅ…、そういえばそうだねぇ〜」

音夢とことりの話に、あゆは苦笑を浮べて同意する。

「まぁ、長期休みとかに入ったら帰省する事も出来るだろうし、大丈夫だろ」

「ウチの両親は俺達が帰省するよりこっちに着そうだけどな」

俺の言葉を、純一が斜め上から打ち下ろす。

「確かに、家に帰ってもうちは両親ともいませんからねぇ…」

「帰省のしがいもないな、全く」

同意するような音夢の苦笑に、純一は追い討ちをかけた。

「ま、それはそれでしょうがないだろう、さ」

「まぁなぁ」

トントンとつま先で床を叩きながら、純一が振り返る。

「おい、音夢。寮までの地図、ちゃんと持ってるか?」

「えっ?大丈夫ですよ。兄さんじゃありませんから」

「と、言われておりますが。どうしますかお兄様」

「…反論するのもかったるい」

「反論ができないだけではないでしょうか?」

「と、ことりにまで言われておりますが」

「……俺のナイーブな心はもうズタズタだ」

「はいはい」

胸を押さえて苦しそうに言う純一の言葉をかる〜く流す。

「お前、振っといてそれはないだろ…」

「いいから、行きますよ?兄さん」

さくらが待っている校門前を見ながら、苦笑して音夢が純一を促した。







「じゃぁ、私達はこっちだから」

「では、またあとでですー」

香里と栞はそう言って俺達と反対方向に別れた。

あとで、というのはもちろんこの後暇だから遊びに行くという事だ、水瀬家へ。

「じゃ、早く行きましょ」

眞子が促して、俺達はゾロゾロと移動を開始した。

先頭では音夢がことりと眞子と地図を見ながら楽しそうに話をしている。

「なんか、知らない土地を散策するのって面白いよねぇ〜」

さくらはそんな事を言いながら俺を脇でうきうきと歩いている。

「まぁ、この時期なら多少は冷えるが歩きやすくはなってるからなぁ」

そんな事言いながら、ズボンのポケットに両手をつっこむ。

春先だけど、北国なもんで今だ風は冷たい。

「しかしよ、さくら。お前は職員寮とかじゃないのか?」

「うにゃ〜?」

俺の質問に、さくらは首を傾げて考える。

「う〜ん、ほら、ボクさ。みんなと同い年でしょ?

 だから大人ばかりの職員の独身寮に居るよりも、みんなと同じ寮にしてくれるように頼んだんだ」

「まぁ、そりゃそうだな。周りが自分以外大人ばっかって言うのも疲れるか」

「うん、いろいろとねぇ」

前をぞろぞろと歩く集団を見ながらさくらが答える。

「では、私達はこちらですからー」

「……また明日」

軽く会釈をしながら別れの挨拶をする佐祐理さんと舞に答えこちらも挨拶をする。

二人が歩き出した所で、俺達も再び移動を開始した。



「こっちを行くと商店街になる。商店街から駅はすぐだから、結構学生が多いんだ」

「ほぅほぅ、して、月刊ヌーの置いてある本屋は商店街のどこらへんに?」

「知るか」

杉並のくだらない質問に、俺は本当に素っ気無く返した。

「できればバックナンバーも取り揃えている本屋があればありがたいのだが…」

俺の返事を無視して、杉並は一人でブツブツと月刊ヌーについて思考を始めた。

「相沢先輩っ!おいしいバナナパフェが置いてある喫茶店はどこですかっ!ありますよねぇ?」

美春がはじめはウキウキと、最後は縋るような目で俺に聞いてきた。

「あ、あぁ。確か百花屋にバナナパフェが置いてあったとは思うが…」

「あるんですかっ!あるんですねぇ!あぁ、これで私の生活はもうバッチリ大丈夫ですよぉ〜!」

「バナナさえあれば生きていけるのかお前は」

「違いますよぉ!バナナがないと生きていけないんですっ!」

こいつのバナナに対する熱意は某いちごジャンキーをも凌駕しかねない。






「でよぉ、純一」

「なんだ、祐一」

かったるそうに隣を歩く純一に声をかける。

「あのさ、お前達どこまでついてくんの?」

「いや、付いて来ているのは明らかにお前達だろ」

前を歩く集団を見ながら、純一がそう言う。

実際、俺や真琴が生活している水瀬家までは後五分もあればつくはずだ。

「まぁ、そうかもしれんが。俺達が住んでいる家もこっち方面なんだよ」

「へぇ、近所かもな」

純一はのんびりと返事をしながらポケットから和菓子を取り出して口に放り込む。

「あっ、お兄ちゃん。ボクにもちょ〜だい!」

「ん?…あぁ、ホラよ」

ポケットから小粒の饅頭を取り出して、ポイッとさくらに投げる。

それを上手い事キャッチしてさくらはおいしそうに食べた。

「う〜ん、やっぱりお饅頭はこしあんだね♪」

「俺がこしあんが好きなだけだけどな。美咲もいるか?」

「え?ん〜、私はあられがいいです」

「わかった、手、出せ」

純一はそう言って鷺澤さんの掌にジャラジャラと小さなあられを渡す。

「ありがとうございます♪」

鷺澤さんは嬉しそうにお礼を言って掌に乗っているあられを一粒ずつ取ってはおいしそうに食べ始めた。

「…晩飯までもつか?お前」

「まぁ、大丈夫だろ」

適当な返事をして、純一は口の中に饅頭を放り込んだ。


「…ん?前の様子が」

「あぁ、なにしてんだあいつら」

先を歩いていた集団が一箇所に留まっていた。

「多分、寮についたのでは?」

「ま、そう考えるのが妥当だろうな」

そんな返事を聞きながら、俺は前の様子を伺う。

「……いや、こんな所に寮になりそうな物件なんてあったか?」

俺は自分が考えていた事を、思わず口に出していた。

「うにゃ?あったんじゃないの?」

「いんや、なかったはずだぞ」

さくらの言った事をはっきりと否定する。

「何せここ、俺がいつも学校通う時に歩いているルートだ。大まかだがどこにアパートやマンションがあるかぐらいは分かる」

「んじゃ、違うのか。じゃぁお前の住んでる所じゃないのか?」

「あぁ、もう目と鼻の先のはずだからな」

そう言いながら辺りを見渡す。

確かに、水瀬家まではもう500Mもない場所だろう。

自分で確認しながら、目の前の集団を見る。

「…なんだ、あいつら」

目の前の集団では真琴とあゆがなにやらわたわたとせわしなかった。

いつもならそれを押さえる天野まで一緒になってわたわたとしている。

「なんだ、なんか騒いでるみたいだな」

「あぁ。あの天野まで騒いでるのは相当な事みたいだな」

純一と軽く話をしながら騒いでいる前の集団を見る。




「さて、そろそろ俺が居候している家が見えるはずだ、が…」

そう言って、俺は思わず立ち止まった。

トンッと後ろを歩いていたさくらが腰に当たる。

「うにゃっ!いきなり止まらないでよぉ!」

後ろでなにやらさくらが騒いでいるが、それどころじゃない。

「どうした?祐一」

一歩前に進んだ純一から声がかかる。

「……なんだ、ありゃ」

俺は一人呟いて、猛ダッシュをかけた。

「お、おいっ!」

後ろから声がかけられるが気にしてられない。

走る。

走る。

100mを7秒フラットでゴールできそうなくらい走る。

思いっきり走ってきた俺に、前の集団が気付いた。

「あっ、祐一くんっ!」

「あうーっ!祐一っ!大変よぅっ!」

声をかけてくるあゆと真琴の前に急停止して、荒くなった息を吐く。

「はぁっ!はぁ、はぁ…」

「あ、相沢さん…。これは、一体…」

「はぁ、はぁ、はぁ…」

荒い息を整えながら、天野が見上げているモノを同じく見上げる。

「…な、なんだ。なんだこれはっ!」

そこにあるのは、水瀬家。

いや、「元・水瀬家」が正しいだろう。

工事に入る前の家は一部改修されているがほぼ原型を止めている。

まずは玄関だ。そこはかとなく大きくなっている。

いや、今のは誤り。間違いなく倍以上にはなっている。

そして、根本的に違う所。




「な、なんで建物全体が倍以上に大きくなってんだぁ〜っ!!」



まるでどこかの豪邸かのように、大きくなっていた。

なんだこりゃ、誰の家だ?

どこの金持ちが『ウチはカネ一杯もってんだぞおらぁ〜』みたいな自己主張目的の為に建てた家だ?

なんて家主に聞かれたら殺されかねない事を考えてみる。

「あ、あの〜、兄さん…」

頭を抱えて叫んだ俺に、後ろから音夢が声をかける。

「…なんだ、音夢」

そのまま顔だけ後ろを向けて、音夢を見る。

「えっ、えっと…。その、これを…」

そう言って、手に持っていた紙を差し出してくる。

「…なんだそれ」

ガサッと差し出された紙を受け取る。

そこには、簡単な地図と手書きの文字が書いてあった。

「こちらに来る時に、学校側から提示された寮までの地図ですけど…」

地図を斜め読みしていたのを辞め、じっくり見る。

そこで、見覚えのある二つの漢字を見つけた。

「………はぁ?」

一人首を傾げてから、目の前の建物に目を向けて、思いっきり探す。

お目当てのものはすぐに見つかった。

表札は変わらずに『水瀬』。

だが、その隣が問題だった。



『水瀬学生寮』






「なんだこりゃぁ〜〜〜〜〜〜っ!?」







ねくすと。