昼休みになって、教室はザワザワとうるさくなる。

食堂へ向かって飛び出したり、机をくっつけてグループで食事を取ったり、
そんな生徒達の光景を眺めながら、自分の机に購買で買ったパンと牛乳を置く。

「…遠野、お前なんでパンとか買ってきてるんだ。」
「ん? あぁ、なんとなく今日はこんな気分。
それよりお前こそ、食堂で待つスペシャルゲストはどうしたんだ?」
「あぁ、振られた。」
「…そうか、残念。」
「しかし、お前相変わらず小食だな。そんなんだから胸に肉が付かないんだよ。」
…目の前の男がこんな事を言うのは日常なので何も言わない。

「しっかしさぁ、大の男が二人で顔合わせて昼食ってのもなんだよなぁ。
食事に華がないというのはどうかと思うぞおれ。」
ぶつぶつ言いながら、ボクの正面に購買で買ったであろうパンとジュースを置く。

「そうか。ボクは見た目かなり女の子なんだけど。華がないならあっちのグループにでも混ざれば?」
「ばかもの。俺はお前を女として見ていない。
それにああいう風に徒党を組んでいるのはダメだ。まるで毒草じゃないか。」
…女子のグループに聞かれたら絶対投石される発言をする有彦。
幸い、こいつの毒が女子に聞かれた事はない。

「…ひどいいいようね、有彦。お前は前からひどいやつだと思ってたけど、最近さらに酷いよね。
ひどいっていうか外道いって感じ?」
「しょうがないだろ、美しい華を学校で見てしまったんだから。」
「はぁ、美しい華って誰よ。ボク?」
「ばかもの、んな訳ないだろ。
まぁ、それは秘密という事で。あまりライヴァルは増やしたくないんでね。」
「そうか、わかったよ。とりあえず言っておくけど、ボクにその気はないから。」
「ばかもん。変な事言うんじゃねぇよ。」
こいつの剥き出しの感情表現は、自分にはないものだからちょっと感心してしまう。

―――――と。

教室のドアから、中庭で会った人がこっち向かって歩いてきた。

「……あ。」
お弁当片手に歩いてくるその姿は見間違えるはずもなく。

「こんにちは、遠野くん。お邪魔しにきました。」
「え…、あ、もちろんいいですよ。」
シエル先輩は笑顔のまま、当たり前のように椅子を持ってきて座ってしまった。

「あの、先輩。なにか用でしょうか?」
「はい、今日の中庭のお礼です。購買でパンを買ってきましたから、私のおごりです。」
「…あー、確かにそう言われたけど…。」
確かに言われたけど、まさか本当にお礼されるとは思わなかった。

「せ、せ、先輩っっっっっ!」
勢い良く立ち上がる有彦。

「あ、乾君こんにちは。先ほどは予定キャンセルしてしまって申し訳ありませんでした。
…もしかして、遠野君とお知り会いですか?」
「えぇ、知り合いも知り合いっすよ! こいつとはガキの頃から友人ですから!
なっ! 遠野! 俺達はマブと呼んでも差し支えない友情だよな!」
「……………はぁ。」
握りこぶしを胸元へ掲げ力説する有彦。
もはや同意も反論も差し込む隙がない。

「へえ、そうだったんですか。遠野君と乾君が友人同士だったなんて、偶然ってあるもんですね。」
「そうっスね! 全くコノヤロウは、いつのまに先輩と仲良くなってんだろうなーとか疑問に思っちゃいますよ俺は!」
笑顔で先輩に語りかけながら、ギロリとボクを睨みつける有彦。
こういうのを八面六臂の大活躍っていうんだなー、とか思ってみる。




―――――――結局、シエル先輩と昼食を取る事になった。
まぁ、先輩も初めからそのつもりだったんだろう。ボクは先輩が買ってきてくれたカレーパンの二個目を食べながら思った。

「へぇ、乾君、一人暮らしなんですか。」
「いや、俺は姉貴と二人暮し。両親が留守だから、自然と自炊ができるようになっただけっすよ。」
有彦は先輩と親しいみたいだ。
今日初めて会ったボクと比べて、気軽に話しをしている。

「ところで先輩、さっき遠野にお礼しに来たって言ってましたけど、こいつなんかしたんですか?」
「いえ、今朝添え木の修理を手伝って頂きまして、それでお礼をしに来たんですよ。」
「はい? 葬儀の修理?」
怪訝そうに顔をしかめる有彦。
まず、そんな事はありえないと、心の中で突っ込んでおこう。

「違います、添え木の修理ですっ。もう、ご飯食べてるんですから怖いこと言わないでくださいね。」
ぷんぷんと怒っている先輩。
なんか、見ていて飽きない人だなぁ。

「添え木って、中庭のか。
また先輩、そういう事すると教師連中がアテにするからやめときなよ。」
「いいんです、私が好きでやってるんですから。
それに先生方もきちんと学校の事考えてるんですから、そういう事言うのは不謹慎ですよ。」
―二人の会話は、どうもわかりずらい。

「なに、先輩って普段からあんな事してるの?」
「おう、遠野知らないのか。シエル先輩って言えば影の生徒会長と言われるくらい便利な人なんだよ。」
「へぇ、そうなんだ。その、影の生徒会長って、強いの?」
ボクが有彦に聞くと、有彦は大袈裟に頷いた。

「強い。肩書きだけの生徒会長とは違って、なんでも解決してくれるという完璧な三年生なんだ。
一年生の間では『シエルファンクラブ』まであるし、教師連中も『シエルに頼めばなんとかなる』
なんて状態だからな。
今じゃ先輩が何をしたって教師連中は文句をいわねぇよ。」
有彦は誇らしげに語る。
なるほど、少なくとも先輩は一ヶ月ぐらいはこの学校にいるようだな。
でなければあの程度の暗示でファンクラブやら何やらできる訳がない。

「へぇ、先輩すごい人だったんだ。
ウチの教師連中が感心するなんて、よっぽどの事だよ。」
素直に感心して先輩を見る。

「あ、はい、ありがとうございます。」
何が恥ずかしいのか、先輩は真っ赤になって照れている。
とりあえず、ボクはそんな先輩のリアクションを見ながら、カレーパン三個目を食べ始める。

―――――なんでカレーパンだけ3個も買ったんだろう。


その間、先輩と有彦は自分達の家の話をしていた。
有彦に親御さんがいないのは昔から知っていたが、先輩も一人暮らしをしてるらしい。
先輩のアパートはわりかし近いそうだ。

「ふーん、それじゃぁ、遠野君のお家はどこらへんなんですか?」
「え?」
無言でカレーパンを食べていたボクに、突然先輩が質問をしてきた。

「いや…、どうしてそんな事聞くの? 先輩。」
「遠野君、私の家の場所聴きましたよね。
それなのに私は遠野くんの家を知らないのは不公平ですから。」
「不公平って…、妙な事気にしますね、先輩。」
「妙なことじゃないですよ。どこに住んでるかわからないんじゃ、なにかの時お見舞いとかできないじゃないですか。」
カレーパンを食べる手が止まった。
なんとなく、先輩はドンデモナイ事を言ったような気がした。

「えっと…、それは、ボクが風邪とか引いたらお見舞いとかしてくれるって事?」
「いえ、今の所そんな予定はありませんよ。」
先輩は笑顔で即答した。

…なるほど、天然だな、この人。


「…しょうがないなぁ。
ボクの家も周辺だよ。歩いて40分ぐらい。ほら、住宅地の坂、あそこの奥まで行った所ですよ。」
「そっか、今日から引っ越すんだっけお前。」
ぽん、と手を打つ有彦。

「遠野くん、転校しちゃうんですか!」
いきなり先輩は、すっとんきょうな事を言って来た。
…やっぱり、引越しイコール転校なのかぁ。

「あのですね、ボクは転校しませんよ。ただ住む場所が変わって、その坂の奥の家になるだけです。」
「…はぁ、それって、遠野さんのお屋敷ですか?」
先輩は恐る恐る聞いてきた。
確かに、あの坂の上にあるバカでかい洋館は、なにか特別なものに見えてしまう感じはする。

「まぁ、そういうこと。自分でも場違いなのは分かってるんだけどね。」
「…ふぅん、その様子じゃ乗り気じゃないのか。」
「良くも悪くもないかな。自分でもよくわかんない。」
「まぁ、自分の家って言っても八年ぶりだろ? しばらくは他人の家みたいに感じるだろうな。」
「…どうかなぁ。まだ帰ってみてないからわかんないよ。まぁボクにはお前の家っていう避難場所があるからいいけど。」
「む、オマエなぁ。何かあるたび俺ん家に泊まりにくるのは感心しねぇぞ。
オマエの昼行灯な性格は気に入ってるが、その遠慮しすぎる所は気にいらねぇんだ昔っから!」
だん、と机を叩く。
こっちとしては、実にその通りなので反論も何もできない。

「乾君、遠野君はそんなに頻繁に泊まりにいくんですか?」
「えぇ、そうっすよ。コノヤロウは自分が有間の家の人達に預けられたって事で遠慮してるんですよ。
それで、体よく部屋空いてる俺の家に転がり込んでくる訳。こいつ外見はいいから姉貴にも気に入られて、手ぶらで泊まりにくるんですよ。」
ワナワナと拳を握る有彦。

「…遠野君、預けられたんですか?」
「あっ…。」
ハッ、として有彦は自分の口を押える。

「わりぃ、遠野。無闇に口に出す事じゃねぇな。」
「あぁ、別にいいよ。悪い事じゃないんだから。」
ボクはまだ食べきれてないカレーパンを食べながらそう言った。

「そっか、まぁそうだよな。アレで文句でも言ったらバチが当たる。」
うん、と一人納得する有彦。
こいつの突き抜けた楽観的な性格は羨ましい。

「遠野君、その…、前のご両親とは…。」
「いや、先輩。こいつ有間の親御さんとは何の問題もないっすよ。
あぁ、有間っていうのはこいつの預けられた先の人達なんだけど、俺から見たらすっごくいい人達で、幸せな家庭だったと思う。
なのにコイツときたら、養子にならないかっていう話も断わって、休みになれば俺ん家に転がり込む。
何が気に入らないんだかホントに。」
「別に不満なんてないよ。良くして貰ったからこれ以上負担をかけたくないんだよ。」
ふん、と顔を背ける。
すると、いつの間にかボク達の近くに弓塚がいる事に気付いた。

「弓塚さん、どうかしたの?」
先輩と有彦から離れて声をかける。

「あ…、うん。遠野君に話があるんだけど…。」
「あぁ、ここでしていい話?」
「えっと、廊下のほうで話したいんだけど、いいかな?」
弓塚は先輩をチラッ、と見ながら言う。

「うん、いいよ。それじゃぁ、先輩、有彦。ちょっと席外します。」
二人に手を上げ、弓塚と廊下へ出る事になった。

「それで、聞きたいことって?」
「うん、間違いだったらごめんね。
遠野君、最近夜中に繁華街とかあるいてない?」
「え…?」
繁華街…。
確かに、最近はアルクェイドと歩いたりしてるけど…。
一応、確認の為に聞いてみる事にした。

「…ふーん、夜中って、どれぐらいの時間?」
「私が聞いた話によると、零時を過ぎてるっていう話だけど。」
多分、それはボクかな…。
でも、ここで正直に「夜中出歩いてます」なんて言える訳がないので、彼女の質問を否定する。

「それは、ボクじゃないよ。
ボクの家ってさ、ほら、茶道の家元とかやってるじゃん。
だから門限とか厳しくて夜7時までに帰らないと大変なんだよ。」
そう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
ちょっと罪悪感が…。

「そっか、有間さんの家は遠野君にも厳しくしてるんだ。
友達が通ってて、すっごく厳しいっていってた。」
「いや、あれは厳しいっていうより、ボクをいじめて楽しんでるっていうほうが…。」
「そっか、うん。遠野君じゃなければいいんだ。お食事中邪魔してごめんね。」
弓塚さつきは教室へと戻っていった。




「よう、話は終わったのか。」
「あぁ、ただの人違いだったみたいだけど…。」
実は人違いじゃないなんて事は、言える訳もなく。

「あ、さっきの女の子は遠野君の彼女なんですね。」
「なっ…、なにをバカな事言ってるんですか先輩! 
確かに中学から一緒だったけど、ボクはそんな…。」
「いえいえ、隠してもダメですよ。
二人ともすごく仲が良さそうで、ちょっぴり羨ましかったです。」
「せ、先輩! あ、有彦、おまえからもなんか言ってよ!」
「べっつにー。俺は遠野と弓塚が何してようが関係無いし。」
「きゃー、なにかしてるんですかー。」
先輩は頬を上気させて飛んでしまっている。
まぁ、別にいいんだけど。
先輩が誤解しようがボクには関係の無い話だし。

「でも、ダメですよ。彼女少し寂しそうだったじゃないですか。
素っ気無くしちゃいけません。」
「…先輩、もう昼休み終わるよ。」
「はい、それでは乾君、遠野君、また今度!」
先輩は笑顔で教室から出て行った。

「…はぁ。」
なんか、疲れた。

「遠野、弓塚はああ見えて内気で一途なんだ。
オマエみたいなぼんやりしてるヤツとは相性が悪すぎる。」
「…ボク、そんなにボンヤリしてるかな。」
「多分、そう思ってないのはおまえだけだ。」
有彦はそう言って席に付く。

「…別に、弓塚さんをどうこうとか思ってないんだけどな。」
一人呟いて、自分の席へと付く。





授業が終わった。
いつまでも学校に残っている訳にもいかないので、鞄を取り教室を出る。

別にやる事もないので学校を出る。
思えば、こうして正門から出るのは入学以来だ。
「…明日からは、ここから通う事になるのか。」

正門から出て住宅地への交差点に出る。
このまま街で現実逃避したい衝動にかられるが、屋敷に行かなきゃまずい…。

「あれ、遠野君だ。」
考えていると、弓塚にばったり遭遇した。

「あ…、やぁ、弓塚さん。」
…ちょっと、昼間二人に茶菓されて意識してしまう。
弓塚は目を白黒させてボクを見る。

「あー、弓塚さん? ボクの顔になんかついてる?」
「えっと、遠野君の家って反対方向だよね? なんでここにいるの?」
「あ…、昨日まではそうだったんだけどね。今日からはほら、坂の上の屋敷に住む事になったんだ。」
「あ、そうだったんだぁ。」
ぽん、と手を叩いて納得する。
…確かに、そういう仕草は可愛らしいと思う。

「坂の上の屋敷って、遠野さんのお屋敷だよね。」
「あぁ、自分でも似合わないと思うんだけどね。」
「そっかぁ、遠野君実は丘の上の王子様だもんね。
私と乾君ぐらいしか知らないのに、これじゃぁみんなにすぐバレちゃうなぁ。」
ふふ、と淡い笑みを浮かべて、坂の上の屋敷を見るように視線を投げた。

「でも大丈夫? もう八年も離れてるんだよね。
その、不安ー、とか、怖いなー、とか思わない?」
「そうだね、実際不安だし、今じゃ他人の家みたいに感じるけど、けど、それでも…。」
ボクには、助けたい人達がいるから。
どんなに不安でも、ボクは屋敷に帰らないといけない。

「…どんなに不安でもさ、やっぱり自分の家だから、帰らないとね。」
「…そっか。あ、呼び止めてゴメンね。遠野君、急いでるんでしょ?」
「いや、別に用事はないよ。のんびり散歩がてらに帰ろうと思って。」
「あ…、そうなんだ。」
何故か、弓塚は俯いて黙ってしまった。

「…弓塚さん、気分でも悪いの?」
放っておくわけにも行かず、声をかける。
それでも彼女は反応せず、じっと下を向いている。
そのまま、こっちも黙って弓塚の様子を伺う。
…すると。

「あ、あのね…。」
「うん、なに?」
「その、ね。私の家とお屋敷って、坂へ行くまでが一緒なんだけど、その…。」
「あ、そうなんだ。それじゃぁ一緒にいこうか。」
「…え?」
目を白黒させる弓塚。
そのまましばらく固まった後、

「う、うん! そうだよね! 帰る方向一緒なんだから一緒に帰ってもおかしくないよね!」
と、やけに弾んだ声でこっちの横にやってきた。

「実は助かったよ。ボク、このあたりの道に不慣れだからさ、案内してくれないかな?」
「うん、じゃぁこっちの道行こっ。坂までの裏道があるんだ。」






――――――弓塚と話をしながら歩いていく。

弓塚との会話は、終始穏やかで楽しいものだった。
―有彦はあんな事を言っていたけど、弓塚さんはとても柔らかい雰囲気で、一緒にいて安心できるタイプだと思う。

「―ふふ。」
会話の折り、突然弓塚が笑い出した。

「なに? ボクなんか変な事言った?」
「ううん、ただ、明日から同じ通学路なんだなぁって。」
本当に嬉しそうに笑う。
その笑顔は、見ているこっちまで嬉しくなってくるようだ。

―その、今まで気付かなかったけど。
言動や仕草とか関係なく、弓塚は可愛いと思う。
前からクラスの男子が弓塚に熱をあげているのがなんとなく分かった気がした。

会話が途切れてしまった。
ボクが弓塚の笑顔に見惚れて、弓塚が黙ってしまったからだ。

……不意に。

「ね。中学二年の冬休みの事、覚えてる?」

弓塚は、そう呟いた。

「…?」
ボクは首をかしげる。
冬休みといえば、有間の家に居辛くて学校で補習を受けたり協会の仕事をしていた頃だ。
覚えているといえば覚えているが、特別何かあった訳でもない。

「あーぁ、やっぱりなぁ。遠野君の事だから、絶対覚えてないと思った。」
がっくりと肩を落として呟く。

「ほら、私達の中学って、体育館倉庫が二つあったでしょ?
大きな運動部が使ってた新しい倉庫と、バトミントン部とかが使ってた古い倉庫。
その古い倉庫が問題で、建て付けが悪くて扉が開かなくなったりする事が何度もあったの。」
「…あぁ、あの倉庫か。一度生徒が閉じ込められて、それ以来使用禁止になった倉庫。」
「そうそう、その閉じ込められた生徒が、当時バトミントン部の二年生。」
「…あー。」


確かに、そんな事があった。



あれは年が開けたばかりの寒い冬。
有間の家に居辛くなって、協会からの仕事も片付いたボクは、自分から補習や、学校の手伝いをしたりしていた。
けど、それで残れるのも夕方5時までだった。
あたりも暗くなり、教師連中も帰るという事で、ボクは教室から追い出された。
そんな訳で、有間の家に帰ろうとした時、校舎裏の旧倉庫からガンガンという音が聞こえて、ボクは様子を見に行った。

――――――誰かいるの?

そう問い掛けたら、中から複数の女生徒の声が返ってきた。
部活の片付けの最中、扉を閉めたら開かなくなってしまって、もう二時間も閉じ込められてしまったと言う。
どうやっても開かないから、教師を呼んできて欲しい、という。
でも、教師達は帰ってしまった。
これから電話で呼んだとしても、一時間はかかるだろう。
雪が降りそうな寒さの中、体操着姿でもう二時間も閉じ込められているのに、さらに一時間待たせるのは酷だと思った。
少し悩んだ後、周りに誰もいない事を確認し、魔眼を使って扉の『線』を切ったんだ。
それで扉は開いて、中から五名ほどの目を真っ赤にした女生徒が飛び出してきたんだっけ。



「…そういえばそんな事もあったね。
でも、よく知ってるね。その話は閉じ込められていたバトミントン部の主将が凄い剣幕で『部の存続に関わるから秘密にしなさい』ってボクに脅しをかけてきたんだけど。」
「もう、やっぱり遠野君は、中に誰が閉じ込められていたか興味なかったんだ。
いい? 私はその時バトミントン部の部員だったんだよ」

拗ねるような弓塚の声。
…つまり、それは。

「…私はちゃんと覚えてるよ。
あの時はただ倉庫に閉じ込められただけだったのに、凄く寒くて暗くて、すっごい不安だったの。
このまま凍死しちゃうんだーって、みんな本気で思ってたんだもん。
おなかもぐうぐう減ってたし、みんなダウン寸前だったんだよ。」
「はぁ…、それは大変だったね。」
いまいち実感が湧かないので、気の無い返事をしてしまう。
それを意に介さず、当時を鮮明の思い出すように弓塚は続けた。

「そうしてみんなが震えてる時に、遠野君が来たの。
『誰かいるの?』って。いつも通り自然で気負った所のない声でね。
その時主将が見て分からないのかーっ! ってかんしゃく起こしたの覚えてる?」
「あー、それ覚えてる。ドカンッてバットを扉にぶつけた音でしょ。あれはびっくりしたよ。」
そうそう、と弓塚は続ける。

「でも先生はみんな帰っちゃってるって聞いて、私達絶望したんだよ。
もうすぐにでも出たいのに、もしかしたら明日までこのままかもって。
そうやって私達が世を儚んでる時にコンコン、てノックして、遠野君は『内緒にするなら開けられない事もないよ』
って言ったんだ。
そしたらまた主将がかんしゃく起こしちゃって。」
「あぁ、『そんなんで開けられるなら苦労せんわー!』って、凄い剣幕だった。」
「あはは、うん。主将は自分の責任だって感じてたから、余裕が無かったんだよ。
でも、そしたらすぐ扉が開いたんだよね。
みんなは主将のバットが効いたなんて言って飛び出したけど、私は扉の横でぼんやり立ってた遠野君を見たんだ。」
弓塚は暖かい眼差しを向けてくる。
…でも、そんな目を向けられても困ってしまう。
あんな事、ボクとしてはなんでもない事なので、感謝される実感がない。

「その時ね、わたし、凄く泣いてたの。
まぶたなんか腫れちゃってもうクシャクシャ。
そんな私を見て、遠野君はなんて言ったと思う?」
「…わからないな。なんて言った?」
本当に覚えていないので、他人事のように聞いてしまう。
なのに、弓塚はやっぱり嬉しそうにボクを見て微笑んだ。

「それがね、私の頭の上に手をポンと置いて、『早く帰ってお雑煮でも食べたら』って。
私、よっぽど寒そうに震えてたんだなぁって恥かしくなっちゃった。」
「………。」
我ながら、言動の意味がよくわからない。

「きっと、遠野君はお雑煮食べれば暖かくなるよって言いたかったんだと思う。」
「…確かに、ボクの言いそうな事だね。」
こうして言われると、もう少しマシなセリフがあったんじゃないかと、後悔してしまう。

「私ね、あの時思ったの。
頼れる人は一杯いるけど、いざっていう時に助けてくれる人は遠野君みたいな人なんだって。」
「…まさか。それは買いかぶりすぎだよ。たまたまその時ボクが助けたっていうだけだよ。」
「…そんな事ないよ! 私、遠野君だったらどんな事でも当たり前みたいに助けてくれるんだって、信じてるから。」
そうして、彼女は思い立ったように顔をあげる。

「弓塚さん、それは過大評価しすぎだよ。
ボクはそんなに頼れる人間じゃないよ。」
「いいの、私がそう信じてるんだから。信じさせて。」
真っ直ぐ見つめて断言されると、こっちとしては恥かしくて反論もできない。

「…まぁ、それは弓塚さんの勝手だけど。」
「でしょ? だからまた私がピンチの時は助けてくれる?」
弓塚は笑顔で言ってくる。

…それは、正直困ってしまう。
ボクは弓塚が言うほどなんでも出きる訳じゃない。
訳じゃないけど…。こんな笑顔を向けられて断われるわけがない。
それに、断わるなんて、したくなかった。

「そうだね。ボクに出来る範囲なら、手を貸すよ。」
「うん、ありがとう。随分と遅くなっちゃったけど、あの時の遠野君の言葉、凄く嬉しかったよ。」
言って、弓塚の足が止まる。
つられてこっちも足を止める。

「私、遠野君とこんな風に話せたらいいなって、今までずっと思ってた。」
どこか思いつめた声で、弓塚は言う。
その顔は、どことなく寂しそうな、儚い表情をしていた。

「…なに言ってるの。学校に行けばいつでもこうして話ができるよ。」
「ダメだよ。遠野君には乾君がいるし。それに、私は遠野君みたいにはなれないから…。」
遠慮がちに答えて、弓塚はボクから離れる。





「それじゃ、私はこっちだから。ばいばい、遠野君。また明日学校で会おうね。」
笑顔で手を振って、弓塚は別の道へと歩いていった。










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