あの時は、いろいろあって頻繁に見ていたが、元々眠いの深い私は夢とは無縁だった。
でも、夢を見た。
あの時の少女が、すぐ側に立っていた。
私を見ているのに、私を見ていない瞳。
触れられるのに、触れてはいけない場所に立つ少女。
その少女の傷痕は、深く、深く、彼女の中に刻まれていた。
私は傷付いた彼女を知っていた。
知っていて、助けられなかった。
そんな思いに、私は囚われていた時期があった。
それを救ってくれたのは、傷を抱えた彼女。
彼女は私に『救われた』と言う。
でも、彼女の傷は、今も、今も、深く刻まれている。
その傷を癒す術を私は知らない。
癒したいのに癒せない。
それを自分で知ってるから、彼女の傷を見ないようにしてたのかもしれない。
それでも彼女は私を救ってくれる。
だから、思う。
私は、私の『全て』で、彼女の傷を護ろう、と。
私は、私の『全て』で、彼女を護ろう、と。
願わくば、彼女が『幸せ』になるその時まで…。
「志貴さん、起きてください。」
ふと、柔らかい声と、白い日差しで目が醒める。
――――――夢、か…。
目が醒め、うっすらと目を開ける。
そこには、琥珀さんが立っていた。
「あ…、おはよう、琥珀さん。」
「はい、おはようございます、志貴さん。」
琥珀さんはいつもの笑顔で答える。
その眼には、昨日の夜の面影は感じられない。
本当に、『いつも通り』だった。
「あれ、翡翠は?」
「はい、先ほど来ましたけど、すぐに着替えに戻りました。」
「へ? なんで? いつもなら着替えは起きた後なのに。」
「はい、私が志貴さんを起こしておくから、と言っておきました。」
「あぁ、なるほど…。」
琥珀さんは、そう言うと笑顔を見せる。
琥珀さんの洋服は、普段通りの制服だった。
私は身体をベットから身体を起こして立ち上がる。
「…あれ? 私昨日は床で…。」
「はい、床で寝ていましたから、私がベットまでお運びしたんですよー。」
そう言って、琥珀さんは指を立て腰に手を当てる。
「はは、そうか…。ありがとう、琥珀さん。」
「いえいえ、どういたしまして。」
琥珀さんがにっこり笑っていると、扉をノックする音が聞こえた。
コンコン
「失礼します。」
「おはよう翡翠。もう朝食?」
「はい、おはようございます、志貴さま。そろそろ朝食ですのでお呼びに参りました。」
「そっか、ありがと。そういえば晶ちゃんは?」
「瀬尾様は先に朝食を摂りに食堂へ向かいました。何でも生徒会の事で秋葉さまにお話があるとか。」
「あぁ、そっか…。生徒会は今日から始動だもんな。」
「はい、そういう訳ですので、早めにお着替えください。」
「あぁ、そうだね。それじゃぁカーテン閉めるね。」
「はいー、別にカーテン閉めなくてもいいんですけどねー。」
そう言って琥珀さんはいつもの笑顔を向ける。
その表情が『いつも通り』すぎるから、
私は、これ以上自分の感情を押さえられなかった。
「…っ、翡翠、ちょっと先にいっててくれ。」
「っ! …はい、かしこまりました。」
「えっ? ちょっと、翡翠ちゃん?」
「それでは、先に食堂のほうへ向かいます。秋葉さまには寝坊と伝えておきます。」
「あぁ…、よろしく、頼む…。」
私の表情から察したのか、琥珀さんが部屋で着替えているのを見たのか、翡翠は私の言葉に素直に従い、部屋を後にした。
「もうっ! 志貴さん、どうしたんですか? 一体。」
「…琥珀、さん。」
「はい? なんでしょうか?」
「…無理、しなくて、いいから、さ…。」
「…なにがですか?」
「もう、琥珀さんは、琥珀さんだから…。無理して、笑わないで、いいよ…。
辛いのは、苦しいのは、判ってるつもりだから…。だから、さ、哀しい目で、笑わないで…。」
「あ…。」
私は琥珀さんを抱きしめた。
「あ、し、志貴さん…。」
「うん…、もう、怖くないから。だから、『人形』に戻るのは、ダメだ…。」
「……もう、志貴さん、は…。こういう時、だけ、鋭いんですね…。」
「ごめん…。でも、琥珀さんが『人形』に戻るのは、嫌だから…。
もう、琥珀さんは琥珀さんだから、さ…。痛みも、苦しみも、感じるかもしれないけど…。それが『琥珀』だから。」
「…でも、痛いのも、苦しいのも、嫌、ですよ…。」
「だったら、私や、翡翠や、他の人にもそれを分けてよ。
私は、琥珀さんには琥珀さんでいて欲しいから、その痛みが琥珀さんでいる為に感じるものだったら、分けて欲しい。」
「…っ! し、き、さん…。」
「だからさ、我慢しないでいいんだよ。人形になんかならなくて、もういいんだ…。」
私は琥珀さんの頭を撫でながら言う。
肩に琥珀さんの顔が埋まり、腕に抱えた肩は小刻みに震えている。
「…本当、志貴さんて、ずるい…。」
「…ごめん、琥珀さん。」
「…許しません、許しませんから…、もう少し、このままで、い、いです、か…。」
「うん…、気が済むまで、こうしてるから…。安心して、泣いていいよ…。」
「…はい。」
私の肩で返事をしてから、琥珀さんは小さな声で嗚咽を漏らす。
コンコン
「失礼します、姉さん。」
「失礼します。」
ノックの後、部屋に秋葉と翡翠が入って来た。
後ろには晶ちゃんもいる。
「あ、私は鞄取ったらすぐ学校へ向かいますから…。」
「…ごめんね、晶ちゃん。後で埋め合わせするから。」
「気を使ってくれてありがとう、瀬尾。今度御馳走させて頂戴。」
「あ、はい…。それでは。」
そう言って、晶ちゃんは部屋から出て行った。
今この部屋には、私と秋葉、翡翠…、私のベットで寝ている琥珀さんがいる。
泣きつかれたんだろうか、あの後すぐ寝息が聞こえてきて、私は琥珀さんをベットへと運んだ。
寝ている琥珀さんは、それでも私の手を離さずに胸元に抱えて寝ている。
「…先ほど、翡翠から話はお聞きしました。」
「…そうか、とりあえず、そこに座ってくれ。」
「…はい、それでは。」
「失礼します。」
そういって、二人はクッションへと腰かけた。
「それで、姉さん。一体琥珀に何が…。」
「…秋葉。お前には、辛い話かもしれない…。」
「…っ、わかりました。覚悟いたしましたので、どうぞお話下さい。」
「…翡翠、昨日、琥珀さんは夜中にコンビニへ向かったよな。」
「…はい。寮を抜け出して、二人で買い物に行きました。その後、姉さんが買い忘れたものがある、と言い一人でコンビニへと戻ったんです。
その後、私が部屋に戻って床に着くと志貴さまがいらっしゃいまして、琥珀さんが自分の部屋で寝ているから、心配するなと…。」
「…それで、なぜ琥珀は姉さんの部屋で寝ていたんでしょうか? 事と次第によっては…。」
その先を言おうとする秋葉を私は静止する。
「秋葉。そんな話じゃないんだ。それに、まだ私の話が終わってない。」
「…わかりました。今の発言は確かに軽率でした。申し訳ありません。」
「…いい。それで、私の話は私が翡翠の所にいく前になる…。」
「…何か、あったんですか?」
怪訝そうな翡翠の顔に、私は黙って頷く。
「…昨日、私もコンビニへ行こうとしたんだ。その時に、争うような影が見えて、女の子の影が見えた。
その影が男の影に暴力を振るわれて、倒れ、そのまま…、乱暴されそうになってた。」
「なっ……。」
「………っ。」
「それを私が間に入って、その女の子が琥珀さんだと判ったんだ。
それで、私がその男達を追っ払った…、まぁ、正確に言うと殺しそうだった所をアルクェイドと先輩に止められたんだけどな…。」
自分のした事を他人事のように言って、思わず笑ってしまった。
「…その時、だな。恐らくぶたれた時点で…、思い出したんだろう…。」
「思い出したって…。」
「…遠野、槙久にされた事を、な………。」
前で、二人の息を飲む音が聞こえる。
…こんな事、本来ならば話したくないが、二人には知ってもらうべきだから、話すしかない…。
「私がいくら声をかけても、『許して、槙久さま』としか話さない。
人形を辞めた時点でいつかその事が表に出てくるとは心配してたんだけどな、こんな最悪な形でなるとは思わなかった…。
私は琥珀さんをそのままにしておけないから、部屋に連れてきてレンに寝かせて貰ったんだ。」
「…事情は、わかりました。」
秋葉は、自分の唇を強く噛みながら私に言う。
翡翠は何も言わず、ただ琥珀さんを見るだけだ。
「私は、琥珀には幸せになって貰いたい…。それが、遠野として、私にできる事だから…。」
「あぁ…、私もそれは同じだよ、秋葉。」
「秋葉さま…、志貴さま…。」
「それでは、姉さん…。琥珀と一緒にいてあげてください。恐らく、今の琥珀にはそれが一番必要ですから…。」
「…分かった、すまないな、秋葉。」
「…っ、あ、謝らないで下さい姉さんっ!! …姉さんは、何も、悪くないんです…。」
「…でもな、秋葉。私は8年前のあの時、助けられなかったから…。」
「兄さんっ!! そ、それは私だって…。」
「あぁ、確かにそうかもしれない。だけど、私は置き去りにしたから…。
琥珀さんには、救ってもらったから…。だから、さ。」
「っ! …兄さんは、遠野を恨んでもいいのに…。翡翠も、琥珀も、私を恨んでいいのに…。」
「バカ、違うだろ。お前の事なんか恨む訳ない。それだったら今こうして一緒にいるはずない。」
「そうです、秋葉様。私達は、秋葉様や遠野を恨んではいません…。」
「…っ!! …ありがとう、兄さん、翡翠、…琥珀。」
「バカだな、私達は姉妹なんだから、お礼なんかいいんだよ。」
「秋葉さま、私や姉さんも、お礼を言われるような事はしていません。
私達のほうが、秋葉さまにはお世話になっているんですから、おやめください。」
「…、はぁ、ありがとう。」
「秋葉、お礼はいいって。」
「ふふ…そうでしたね。」
「秋葉さま、これを…。」
涙を溢した秋葉に、翡翠は自分のハンカチを渡す。
それを受け取って、溢した涙を拭った。
「…悪いわね、翡翠。それでは姉さん、私達は学校へと行ってきます。
くれぐれも、琥珀の事、お願いしますね。」
「それでは志貴さま、姉さんをよろしくお願いいたします。」
「あぁ…、いってらっしゃい、二人とも。」
「はい、それではまた。」
「失礼いたしました。」
二人はそう言って、部屋を後にした。