『ほら〜っ! 志貴、こっちだって言ってるだろっ!』



前を走る姿は、太陽の光を受けて、とっても眩しく見えた。

後ろを振り返って「私」を手招きする彼は、いつも笑顔で、楽しそうにしていた。


『早くっ! 早くしねぇと秋葉が来ちゃうだろっ!』


「私」よりも少し年上の彼は、走るのがとても早くて、いつも後ろを追いかける事しか出来なかった。

けれど、それでも、「私」はとても楽しかった。


『はぁ……はぁ……。に、にいさまぁ。にぃさま待って〜』

『ハァ…ハァ…お、男の子って、足速い……』


そんな「私」達の後ろを追いかけてくる彼女達も、とても楽しそうに微笑んでいた。

いつも彼女達に追いかけられている「私」達は、彼女達の声が聞こえるといつも逃げ出していた。


『やっぺ、翡翠捕まったのかっ!まぁいつも通りだけどよ。ほら、急げよっ!』


少しイジワルな彼は、「私」がちょっと疲れていても手を引っ張って走らせる。

けれど、その引かれた腕は優しく握られて、振りほどこうと思えば、簡単に振りほどけるものだった。


『もう少し、もう少しで離れに着くからっ! 頑張って逃げようぜっ!』


けれど、「私」はその手を振りほどく事はしないで。

ギュッと、繋がった部分を、ほどけないように、力いっぱい握り締めた。


『うんっ! 頑張ろうねっ、「シキ」ちゃんっ!』





多分これは、「私」の淡い、『ハツコイ』の記憶―――


















―――ハッとして、目が覚めた。



仰向けになった身を起こし、気を抜けば見えてしまう『線』を意識して視界から消し、辺りを見渡す。

視界はほぼ真っ暗。

窓から射す月明かりが部屋の中を照らし、時刻はもう夜なのだと気がつく。



ジクジクとした痛みを覚え、そっと、胸に手を当てる。

心臓の音がトクン、トクンと脈打ち、自分の生命の灯が、まだココに在る事を知らせる。



ふと、胸に手を当てながら、『何か』を思い出す。



木漏れ日の射す森



繋がった手と手



いつも笑顔で私に笑いかける『  』



ドクリ、と。

手を当てた胸が高鳴る。



『判っている、本当は判っている事。

 けれど、知らない、知ってはいけない事。

 知れば全て、『オワッテシマウノ』だから。』



心臓が不規則に脈打ち、ギシリと頭が痛む。

呼吸が乱れ、視界がアンバランスに動く。

まるでジェットコースターに乗っているような、そんな期待と、不安。



「            」



自分の声が聴こえない。

どこか遠くからの叫び。

いえ、これは『悲鳴』。



脳髄が焼け爛れ、脊髄に火鉢を射しこまれたような痛み。




「アグッ―――、ハァグゥゥ!!」





夢が網膜に焼き付いて、離れない。

声を出しても、悲鳴を出しても何も聞こえない。




聞こえる、それでも聞こえる声。

喉が枯れるほどの悲鳴。

獣のような唸り声。

苦しみと、悲しみと、怨念を謳う声。







貴方は誰?

あなたはだれ?

アナタはダレ?













アナタハ『  』―――。

















「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



















「志貴様っ!! 志貴様っ! どうかなさいましたかっ!?」



ドンドンと、激しく戸を叩く音と、悲鳴に近い呼び掛けに目が覚めた。

うつ伏せになった身を起こし、気を抜けば見えてしまう『線』を意識して視界から消し、辺りを見渡す。

視界はほぼ真っ暗。

窓から射す月明かりが部屋の中を照らし、時刻はもう夜なのだと気がつく。


「志貴様っ! 志貴っ、志貴ちゃんっ!! 返事をしてっ!!」


相変わらずドンドンと、激しく叩かれる戸と、廊下からの叫びにも近い声に、私は一気に意識を覚醒させた。


「ひっ、翡翠ちゃん? ……ど、どうかしたのっ!?」


尋常でない廊下の様子にベットから慌てて飛び降り、部屋への扉を開ける。

ガチャリと開くと同時に、半泣きの翡翠ちゃんの顔が飛び込んできた。


「ひ……翡翠ちゃん? ど、どうしたのいきなり?」

「し、志貴様? 大丈夫なんですか?」


開けた途端勢い良く部屋に飛びこんできた翡翠ちゃんは部屋を見渡してから、私の顔をマジマジと見つめる。

大丈夫も何も、それは私が聞きたい事だと思うんだけど。

相変わらずキョロキョロと部屋の中と私を見る翡翠ちゃんにそんな感想を思うと、廊下から今度はドタドタと走ってくる複数の足音。



「に、兄さん―――っ!!」

「志貴さんっ! どうかなさったんですか――!?」

「志貴っ! 一体何が――っ!!」

「志貴君っ! どうしたの―――っ!?」



何て言うか、物凄い表情で現れた四人。

驚愕と言うか、なんと言うか。

とにかく凄い慌てた表情の四人は、揃いも揃って部屋の入り口に頭を突っ込んできた。



荒い息を吐き、何だか知らないが慌てている四人に、思わず苦笑。

若干二名、ななこちゃんとレンが居ないのは多分、家政婦さんの『召使い』をさせられている所為だろう。


「みんなして、どうしたのよ一体……。別に私は何も無いけど?」


呆れ半分、戸惑い半分で顔を揃えた五人にそう告げると、何故か五人は困惑を顔に浮かべる。



「いえ、でも兄さん……。先程確かに……」

「先程? 先程って? 私翡翠ちゃんが来るまでずっと眠ってたんだけど……」

「いえ、ですが先程……」



何だかお互い困惑しながら会話をする。

先程って言われても、私はずっと『眠っていた』んだし、何かした覚えも無い。

と、唐突に私のお腹から『く〜』と言うか細い自己主張の音が鳴った。


「うっ……………。」


思わずソレにお腹を押さえ、腰を引く。

多少上目遣いになった体勢になり、目の前で口をぽかんと開けている五人を恨めしく睨んだ。




「く〜、だって。志貴のお腹の音は可愛いねぇ〜。私はこの間『ごろごろ〜』って鳴いたよ」

「アルクさん、多分それはお腹の減った音じゃなくて、お腹を壊した音だと思いますよ……?」

「………ま、まぁ何とも無いのでしたら結構ですっ!」

「志貴様、お食事のご用意は既に出来ております」

「あは〜、志貴さんはお腹がペコペコみたいですねぇ〜」




こらそこの二名、人のお腹の音で盛り上がるな。

秋葉は秋葉で顔を赤くするんじゃない!

翡翠ちゃん、別に待っていた訳じゃないんですよ、偶々なんですよ?

琥珀さんも、ストレートに言わないで下さい。



目の前の五人に心の中で恨み言を吐きながら、く〜く〜鳴りそうなお腹を押さえつつ、声をかける。



「もっ、もう夕食の時間でしょ? さっさ、早く行こう早く行こう」


照れ隠しと、場の雰囲気をぶち壊すように声を張り上げみんなの背中を押して廊下へ出る。

バタン、と後ろで扉が閉まったのを確認してから、私は前を歩く五人の後ろをついていった。









ふと、顔に触れると、指先に冷えた感覚。


「………あれ? 何だろこれ」


頬に触れると、水気を含み、乾き始めた皮膚の感触を指先が捕えた。


「………何か、哀しい夢でも見たっけ?」


普段、夢を見る事の少ない私にとって、どこか他人事の話。









けれど一瞬、ほんの一瞬




胸がドクリ、と




歪な音を、   鳴らしたのを





意識の外で、      聴いた気がした。